えすかれーしょん

ふりーぱす

ふりーぱす

一から十まで。

何もしなくてもイイ。

肩書きがフリーパスならば、何もしなくても成立する。でも、能力を問われる。

どんなに良い肩書きがあっても、実力の世界ならば能力を問われ、フリーパスとはいかない。

肩書きを手に入れる為に、ヒトは相当努力する。

封建時代では、生まれた時その身分は決まっていて、自分のチカラでは何も変わらなかった。

明治以降は、努力により肩書きを手に入れられるようになる。

肩書きで身分が決まった明治。その名残は、今でも残っている。

みんな命をかけて、肩書きという武器を手に入れる。

ただ、どんなに苦労して手に入れた肩書きであっても、フリーパスとはならない。

一から十まで、何もしなくても良いというコトはない。

でも、門前払いもされない。中に入るコトは、出来る。

見合う肩書きがなければ、中に入るのは難しい。能力があっても、門前払いされてしまう。

肩書きがなければ、最初の段階で撥ねられてしまい、それに対して文句も言えない。

とすると、肩書きというのは入場券らしい。

みんな入場券を手に入れる為に、命がけになっていると考えてイイ。

入場券を手に入れただけで、人生は安泰にならない。何も保障はされない。

万能でもなければ、フリーパスでもない。死ぬほど努力しても、入場券が渡されるのみ。

あとは、またスタートラインに立って、ほぼゼロからやり直し。

かなり過酷なレース。明治の頃は、まだ保障があった。フリーパスで万能に近かった。

それが色褪せてきて、徐々に入場券程度の価値になってしまった。

門前払いさせられないだけ。もしも入場券もなければ門前払い。

能力があっても、それを出せる場は許されない。

能力を活かしたいのであれば、違う入口をさがして、潜り込まなければイケない。

最終的には能力の勝負であるが、その前が長い。

しかも能力に繋がる物とは、異質なコトをやらされるコトも多すぎる。

異質なコトなので、入場したあと、またゼロからやらないとイケないようになる。

フリーパスであるという幻想が残ったまま、入場券程度の現実にぶち当たる。

必死で山を登り、頂上に着いた所で、そこがまたスタートだったというコト。

全てが無駄とは言わないまでも、計画性があるとは言えない。

全体的な流れを見て、動けているとは言えない。

何が大切なのかが、ズレてしまっている。そのズレを、個々で埋めなければイケない。

かなり痛みを生じているハズ。それなりに悲鳴は聞こえるが、みな無関心でいる。

関わり合いにはなろうとしない。

激動の時代に入った。もしかすると、それはチャンスかもしれない。

ズレを修正するチャンス。ただ、目先の世界しか見られないヒトは、何も変えられない。

全体像を見ることが出来て、修正する必要がある。

もしくは、持ってるモノを手放して、実質的な物と混ぜるコト。

実質的な物と混ぜれば、それが答えになっている。その答えに合わせて変えるだけでイイ。

答えはある。そこから離れすぎてしまった。現実と離れすぎて、フリーパスの幻想を生み、入場券程度に価値を下げてしまった。

ズレたままいくのか。修正されるか。

フリーパスは幻想。現実は入場券。そこから、能力勝負。最初から能力勝負だけになれば、言うコトはない。

-えすかれーしょん