てにおえない
自分なのに。
他人なら尚更。
自分という存在は、手に負えない。他人なら尚更そうだろう。
とりとめのない自分を、どうにも出来ないのは当然。
同様に、他人がどうこうしてくれるハズもない。とすると、そこに期待してもしょうがない。
自分というモノ全体となると、分かり辛すぎる。
そこで、自分を分割する。
全体であれば分かり辛いが、一部であれば対応しやすい。
他人に対しても、分かりやすい一部分だけで、接していく。
一部ならば、相手もなんとかしてくれる。
自分というモノを、分かっていると思っている。そして小さくて、分かりやすいモノと思っている。
でも、本当は分かり難い。小さくもない。
他のヒトと同じでもない。それで手に負えない。
自分を分割して、一部分ずつ区切っていく。自分で持つ部分と、他人に任せる部分と。
分割出来れば、ラクになる。ひとつが、他に影響するコトも少ない。
分割出来たとしても、自分が理解できない所も沢山残る。
理解できない所は、秘められた能力なので、放って置いて時期を待っていればいい。
その力が出てくる時もあるし、出てこない時もある。無理に引き出すモノでもない。
自分が理解できる部分だけを分割して、そこだけで、接する。
とてもつかみ所のない、曖昧な自分であるが、理解できたモノだけ、キッチリ分割していく。
分割がどれだけ出来るかは、わからない。多ければ良いというモノでも、少ないから悪いというコトもない。
今までわからなかった自分が、突然理解出来るコトもある。
分かった段階で、分割すればいい。
今までの理解できたモノが、変化して理解できなくなる時もある。自分といっても、とても流動的。
柔軟に対応する必要もある。
手に負えないモノは、分割する。
分割して、パッケージとして分かりやすく、認識。昔から使われる、割り切るという言葉は、そういうコトかもしれない。
手に負えないは、自分。分割して、分かりやすいカタチで仕舞っておく。自分の意識下に、自分を置いておく。