へんけん
染みついてしまっている。
固定観念。
自分の中の固定観念が、裏切られる。自分の中の偏見が、崩れようとしている。
みんな固定観念の世界で、それを演じてきた。
個ではなく、他のヒトが描くイメージに合わせて、それを演じてきたのだと思う。
ツイッターをやってると、イメージとまるで違う。
どんなに肩書きが立派なヒトでも、近所のお兄ちゃんとお姉ちゃんと違わない。
年齢的には、立派なおじさんやおばさんであっても、印象はお兄ちゃんやお姉ちゃんといった感じ。
おそらく自分の方から、構えてしまうコトが多い。みんなとても近い存在。
能力として、凄いモノを持っていたとしても、とても身近なお兄ちゃんやお姉ちゃん。
ツイッターは本音を出せるし、社会的な役割を演じる必要もない。
気持ちの赴くままに、ツイート出来る。
少なくともツイッターの中には、ご立派なヒトは居ない。
でも、世の中にはご立派なヒトだらけ。
みんな演じているんだなぁと思う。
ご立派だと勝手に位置づけていたヒトが、ただのお兄ちゃんに戻る。
このままツイッターが続けば、世の中のご立派なヒトが居なくなるかもしれない。
とてもヒトとヒトとの距離が、近づいてきた。これなら誰を見ても、構えなくて良いと思える。
140文字という制約がそうさせるのか。とても気楽なメディアだけど、ヒトの本質を見せてくれる。
遠く、別次元のご立派なヒトではなく、ご近所のお兄ちゃんお姉ちゃん。
思い起こせば、ツイッターなんか無かった時代も、実はそうだったかもしれない。
こっちで勝手に、肩書きや年齢でイメージを作っていたように思う。
ご立派なイメージを勝手に作って接した時、確かに相手は微妙に戸惑っていた。
今思うと、無理に演じさせていたのかもしれない。
結局こちらが、勝手に固定観念を持ち、押しつけていた。
偏見は、偽。固定観念を押しつけ、そして演じさせていた。もっと近いし、何も自分と変わらない。ただのお兄ちゃんでありお姉ちゃん。