とちゅう
スタートと、ゴールは作る。
でも、メインはスタートやゴールじゃない。
メインに考えなければイケないのは、途中。途中をどう充実させようか。
途中だけ考えればいいくらい。
途中というモノがどうであるのか。ラクで楽しくてでは、何も蓄積されない。
やはりいろんな蓄積をする為には、苦さや楽しさの両方が必要になる。
それに伴って、心も揺れる。感情の起伏も、大きくなる。
それはよりドラマチックなモノと言える。
スタートやゴールはなければイケない。でも、それを考えて、途中が疎かになっては大問題。
何かの業務など、こなす事であれば、スタートとゴールだけでいいかもしれない。
でも感情を伴ったり、膨らませる要素があるコトならば、途中が重要。
さて、その重要な途中とは、なんだろう。
ひとつひとつ。細かな部分。
感情があり、それがストレートに表に出てくるとは限らない。そのヒトの性格により、出方はマチマチ。
それをうけた時の相手の反応。それも性格による。そして、その時の空気感。
その場の空気は、状況によってまるで違ったモノとなる。
モノはそこに存在する。動いていくモノなのか、留まるのか。
どのぐらい留まっているのか、どこから来たのか。それだけでも、空気感は変化する。
そのモノには、そのモノの一生がある。
そこに存在して、一生を終えるまで、存在し続ける。
創作物であれば、とってつけたように物を置きがち。
それで、空気感が安っぽいモノになる。
そのモノは、生涯存在する。始まりもあれば、終わりもある。簡単なモノではない。
スタートやゴールを見すぎて、その途中のモノの手を抜く。よくしてしまうコト。
そこに存在している。そして存在し続けてきた。そしてこれからもずっと存在していく。
それが途中。考えるべき、描くべき途中。
なるほど、手を抜かない事で、ホンモノになる。そういうコトかもしれない。
ホンモノを作るには、存在し続けるであろうモノを、描かなければイケない。
とってつけたモノでは安っぽい。それはホンモノではないから。
細かい所まで、キチンと描ききると言うのは、ホンモノにしていく作業。
ホンモノを作れれば、それまでのいろんな問題は、消えて無くなる。
途中は、容れ物。いい加減なモノが入るか、ホンモノが入るか。自由な中で、どう編み上げていくのか、というコト。