のっかる
カラダに逆らうコトは、無理。
権限にも逆らえない。
実はいろんなモノに乗っかって、生活は成り立っている。それ故に、逆らっては生きていけない。
一体なので、意識しないが、カラダに乗っかって生きている。
カラダが朽ちてしまえば、どんなに生きたくても生きられない。
社会や組織の中で生きている限り、権限には逆らえない。
権限に逆らえば、排除されて終わり。社会や組織に乗っかっている以上、仕方ない現実。
この地上で生きている限り、地球には逆らえない。あらゆる地球の営みは、甘んじて受けるしかない。
システムにも乗っかって、便利な生活をしている。システムが壊れれば、便利な生活は失われる。
いろんなモノに乗っかって、私たちは生きていられる。
乗っかって、それだけ恩恵を受けているが、それは意識しない。
乗っかって、依存しているにも関わらず、君臨してふんぞり返る。
逆らえないというのは、ヒトが依存して存在する以上、当然のコト。実態を知るだけ。
圧倒的な不自由。それが実態。
と同時に、頭で描かれる世界は、絶対的な自由。いかようにも、描ける。
圧倒的な不自由と、絶対的な自由。その中で、ヒトは生活を営んでいく。
逆らおうとするのは、頭の中の自由な世界を見て、そうさせる。
それがあって、未来を作れる。
その時は逆らえなくても、望んでいれば、少しずつ未来はカタチを変えてくれる。
現実世界は、勝手に起こる。それに乗っている自分は、受け止めるしかない。
でも頭の中は自由なので、どうとでもなる。そのギャップを埋めるのが、役目かもしれない。
現実と、自由な世界と、その調整の為に、ヒトの存在はあるのかもしれない。
調整役。
過去を引き継ぎながら、未来を作っていく。過去よりは良い世界になっている。
調整役として、キチンと勤め上げている。これからも、世界は良くなっていく。
現在は、まだまだ逆らいたくなる社会。逆らえないながらも、逆らいたい気分は充満している。
君臨したり、ふんぞり返る傲慢さも、調整役には必要な要素かもしれない。
あくまで長期的な世界での話。短期的には、苦い水を呑ませ続けられている。
有限で、現実の不自由な世界。それに乗っかって生活を営むヒト。苦い水を飲みながらも、ほんの僅かずつ調整される。
乗っかるは、不自由。不自由と自由の調整役。過去と未来を繫いでいる。まだ未来は、自由な世界にしかない。