えすかれーしょん

みじかいことば

みじかいことば

精製されている。

選び抜かれている。

短い言葉という制限。その制限により、言葉は選び抜かれ、精製される。

長い文章になるほど、不純物が入る。

書き手にしてみれば、先が長い意識。先のコトは考えるが、現在の言葉の精製は疎かになる。

短い言葉であるならば、先のコトを考える必要はない。考えるべきは、短いその世界のみ。

短いその世界の中で、言葉は精製され、紡ぎ出されていく。

たとえどんなに、苦労して捻り出した言葉でも、全体を見て不要ならば、残酷に切り捨てもする。

短い言葉の世界は、書き手にとても厳しく、それだけに上質と思う。

読み手にしてみても、短い言葉であれば、挑戦できる。難解な表現があっても、考えを巡らせ、時間をかけられる。

その場で分からなくても、短い言葉であるので、記憶しておくコトも可能。

いずれ、分かる時が来るまで、記憶の中に眠らせておける。

短い言葉は、制限がされているが、その分の密度は異常に濃くなる。

制限が、関わるモノの意識を変化させると言ってイイ。

短いと長いで、読み手の意識も、書き手の意識も変わる。

それは、全てを同時期に把握できるかどうか。

同時期に把握できるモノは、完全に支配できているというコト。

これは読み手に、主導権を完全に渡すコト。また書き手にとっても、完全に把握しながら、作業を進められる。

完全支配の中では、言いワケは通用しない。全て自分の責任であり、自分が投影される。

俳句や川柳などが人気なのも、その所為かもしれない。自分が投影されるからかもしれない。

それだけに、否定されると、とても落ち込む。自分が濃く入っている分、自分を否定された感覚になる。

みんな自分が投影されたモノが、評価されるコトの悦びを、味わいたいのかもしれない。

長い文章に比べると、短いほうが、ハードルは低い。誰でも参加できて、評価もして貰える。

自分ではないが、自分が反映され、間接的に悦びを得られる。

それは自分の分身。短いほど、自分の分身を沢山作るコトが可能。それが人気の一因かもしれない。

ヒトの創作物は、分身。みんな、分身の術が使える。

素人でも作れるし、奥も深い。そういう、分身の術があれば、他のモノでも人気が出るかもしれない。

短い、小さい、狭い、少ない、その完全支配が容易な世界。

その中で、多様に広がる世界を作れば、面白くてみんなが楽しめる、新たなモノが構築できるような気がする。

短い言葉は、多様。完全支配が容易ならば、ひとつ一つに時間がかけられる。完成度は、支配できるほど、高く出来る。

-えすかれーしょん