きょうき
それでも危ない。
武器でなくても、ヒトを傷つける。
平和的であっても、あまりに異なれば、凶器。
どんな兵器にも勝る方法論ならば、それはやはり凶器と言うしかない。
このブログでは、一切のチカラを使わずに戦争を無くす方法論を、示している。
実際には誰も死なない、誰も傷つけない。それだけに、とても良いモノだと思い込んでいた。
現状の平和は、チカラを根底にして成り立っている。
チカラを使った恐怖。それを根底において、一応の平和は保たれている。
それは本物ではない。そう感じて、良かれと思ってチカラを使わずに、平和にするやり方を示した。
それでも、現状にないそれは、世の中にとって凶器でしかない。
みんなが望んでいる。としても、だからといってすぐに受け入れられるモノではない。
時間がかかる。1ヶ月かもしれない、1年かもしれない。10年かもしれないし、100年かもしれない。
みんなに広まってからでも、どれだけ時間が必要かは、わからない。
そのまま、花を咲かせ、実を結んでくれる保障もない。
途中で消えて、枯れてしまうかもしれない。
それは受け手しだい。作り手には、どうしようもならない現実。
下手に広めようとしても、凶器を振り回すようなモノ。ただの異質な、危険な人物としてしか、認識されない。
リスクがある方には、ヒトは動かない。少しでもリスクがあれば、そちらの方には誰も寄りつかない。
どんなに良いモノでも、望んでいるモノでも、浸透には時間がかかる。
良いモノだと思って、横柄な態度になってみたり、努力をしなかったりでは、いずれ消えてしまう。
波風を立てないようにして、そっと置いておく。凶器なので、持つべきではない。そっと置いてそのまま。
花が咲き実を結ぶモノならば、そうなる。枯れて消えてしまうモノならば、そうなる。あとは任せる。
良かれと思って作りあげたご自慢の一品は、凶器。ザンネンだけど、それが現実。
流れに抗わず、それが凶器にならないように、いかに自然なカタチで流れに溶け込ませるのか、その工夫。
工夫や努力を、怠っては成立しない。大きな山を乗り越えても、まだいくつも山がある。
体力と気力は、いつでも温存。全力でやり過ぎていたと思う。余力を残さず、やり過ぎていた。
一本調子では、最後まで辿り着けない。凶器として終わるだけ。その時に必要な、やり方に切り換える。
大きな山の後、沢山の小山がある。その分まで考慮して、余力を温存する。それを心がけたい。
凶器は、配慮の無さ。穏やかなままで居られるように、やり方を切り換える。より魅力的に、演出まで担う必要がある。