こきゅう
リズムは違う。
ゆっくりだったり、早かったり。
呼吸は一定ではない。様々なスピードの呼吸が、同じ空間に共存している。
ヒトの呼吸、鳥の呼吸、虫の呼吸、植物の呼吸。呼吸はリズムを刻み、営みをひと目ひと目編み上げていく。
それぞれのテンポでの営みが、社会の中で混ぜられて、存在している。
でもみんな、自分のテンポしか知らない。
他も自分と同じだろうと、漠然と信じている。
ごちゃごちゃに混ぜられたスピードにより、なんとなく世の中の流れの速度も、決まってくる。
世の中のスピードは、一定だとも信じているが、構成する要素によってまるで違う。
都会より田舎の方が、時間がゆっくり進むと感じるのは、その所為。
ヒトが少なく、動植物が多い。
ヒトよりも、植物の方がゆっくり。それに囲まれているので、時間もゆっくり流れていく。
ヒトは気づかぬうちに、時間を押している。時間を速めている。
植物は季節単位。そしてその日の天候に対応すればいい。
ヒトは、下手をすると分単位。分刻みのスケジュールで、動いていく。
時間を速めて、当然かもしれない。
全体的な時間の流れは速まるが、個々の時間はさほど変わらない。
呼吸は変わらないので、みんな無理をするカタチになる。
ヒトの呼吸は、本来どうあるべきなのだろう。
ヒトも動物と考えれば、日が昇って活動を始める。日が沈んで眠りにつく。それが自然だと考える。
自然が相手だと、ほぼそれが的確な生き方。
でも相手が自然ではなく、ヒトだったり、道具だったりすると、それは崩れる。
照明の発明で、夜でも活動が出来るようになった。ヒトや道具が相手では、自分の呼吸など関係ない。
相手の都合で、全てが進む。文明が発達するにつれ、ヒトはかなり無理を強いられるコトになっていると、想像できる。
無理も出来るが、無理をしないコトも、本来は出来るハズ。でも、それは大きな流れの中では、許されない。
私たちは、働き手に対して、ヒトであるコトを許していない。道具のように考え、道具であるほど有能と位置づけている。
道具から、ヒトに戻る時間は欲しい。ヒトから動物に戻るのもイイかもしれない。
さらには動物から、植物に戻る。そして、小さな原始生物にまで、戻る時間があっても良い。
それぞれに戻って、それぞれの呼吸になる。そしてそれぞれの、時間を味わう。
それは、ヒトというモノを、見つめ直す時間になるようにも思う。
いろんな呼吸のモノが、同じ空間に共存しているというのは、その呼吸を学べというコトなのかもしれない。
ヒトはものまねの動物。真似るコトは、得意な分野。
ふんぞり返っているので、下等な動物のマネなど嫌かもしれないが、たまにはしてみると良い。
この世界は、ヒトだけのモノじゃない。呼吸を変えると、ヒトの営みが客観的に見えてくる。
ずいぶん無理をさせていた。細胞ひとつひとつに、充分酸素をいきわたらせる。深い所の疲れを、洗い流す。
いろんなスピードの呼吸。自分の呼吸のスピードが、正しいワケではない。呼吸を変えてみる。
世界の感じ方も変わり、自分の深い所に溜まったゴミも、キレイになる。
呼吸は、様々。他の生き物の呼吸を、マネてみる。この時間の流れが絶対だと考えるのは、勘違い。