これはなんだろう
ヒトはいつも、疑問を抱いていた。
その場に立ち尽くしていた。
どの時代のヒトの前にも、コレは何だろうがあった。
とてものんびりしている時に、思うモノ。
絶対的な命の危険の前では、逃げるコトが精一杯。
危険な存在として、そのモノをそのまま受け入れるだけ。
どんなモノでも、そのまま受け入れれば、考えなくてすむ。
でも世の中は、あまりに不思議に溢れていて、そのまま受け入れるのは、逆に不自然だったんだろうと思う。
朝が来て夜になるのも、雲が広がって雨が降るのも、そのあと虹が出るのも、とても不思議。
これだけの不思議を、そのまま受け入れるのは、難しい。
疑問を持つ方が自然。
立ち尽くして、諦めてのくりかえし。
分かるワケがない。道具がなければ、分かるワケがない。
道具を作るコト。ヒトの能力は、道具に乗っかって発揮される。
原始時代のヒトに、顕微鏡を渡せば、おそらくいろんなコトを、発見出来る。
道具は、疑問の答えを運んできてくれる。
道具はダレがつくるのか。
道具は、道具が必要なヒトが作る。
自分だけでは届かないという現実を、補う為に道具を作り出す。
届かないといって、カラダは補ってくれない。仕方なく、道具を作り出す。
カラダの延長として。もどかしいカラダを、拡張させる道具タチ。
今でも、世界中のどこかで、いろんな道具が作られてる。まだ疑問だらけだから。
でももう本当は、普段の生活の中の疑問なんて、ほとんどない。
普通に生活していれば、疑問は浮かばないし、もう解決されているモノばかり。
今疑問に思うのは、不自然なのかもしれない。これだけ分かってきた中で、疑問を持つのは、不自然かもしれない。
何も分からなかった時に、疑問を持つのは自然で、分かってきた中で疑問を持つのは、不自然かもと思う。
環境が変わった。ヒトが環境を、変えてしまった。
コレは何だろうが、とても少なくなってる。ヒトが、解決してしまったから。
でも、疑問を解決する行動は、惰性として続く。おそらくこれからも、続いていく。
コレは何だろうが、とぼしいまま。ヒトは、それをむさぼらずには、居られない存在。
恐ろしいね、ヒトは。最初は純粋だったのだろうけれど。今は不純。これからはもっと不純。
もう疑問の解決は、さして価値は無い。解決してきた知を、どう使うのか良いのか。
ヒトが恐ろしい存在ではなく、より価値のある存在になる為に。
仕方がない。ヒトがそう変えてしまった。もうトンでもなく強い力を持ってしまった。
あとはその力をどう使うのが、ヒトの価値が見いだせるか。それを考えて行く番。
ヒトは恐ろしい。もうチカラを持ちすぎている。順番が回ってきている。神となる順番。
自分のコトばかり考えてイイほど、弱くはない。もう少し、自覚を持つべき。
すぐに神になれとは言わない。なれるワケがない。マネゴトで良いから、神の手伝いくらいからすればいい。
神に頼っているその荷物を、ヒトが代わりに持てばいい。順番からすれば、それが自然。
チカラ持つモノは、自分の為にチカラを使うべきじゃない。他の存在の為のチカラ。それが自然。
コレは何だろうは、スタート。チカラを持っている自覚。自分勝手にチカラを使えば恐ろしい。順番を守ろうよ。