はなやか
ダメにはなっていない。
テレビCMを見て思う。
とても華やかだと感じる。ショーというのは、華やかさが必要なのだろう。
テレビCMは、際立って華やか。バラエティなどは、ゴチャゴチャしていてあまり、心地よくない。
ネットも、華やかさという点では、まるでお粗末。ショーという意識がないので、仕方がないのかもしれない。
CMを見ての華やかさは、とても心地良いモノ。はて?どうしてそう感じたのか。
これから進んで行く方向では、失われるであろう華やかさを、ふとその時感じた。
その心地良さとは、透明感や、しっとり感。そして凛としたモノだった。
とても洗練されている。そこまでのモノは、これからも発展するであろうネットの世界には、ほぼ無いに等しい。
CMはお金をかけているから。そういう見方も出来る。でも、それだけじゃない。
あの華やかさをつくり出す為には、その裏で相当の試行錯誤が、行われている。
CMなので、映像という見た目のモノになるが、違うと思うのは発色。
色の濃さが違うように思う。そして、透明感。空気感。色は濃いのに、抜けも良い感じ。
フィルムを使っているからだろうか、それともハイビジョンだからだろうか。
映像を見ても、素人には理由は分からない。でも、あきらかに色の発色が良い。
ネットの世界では、そこまでは考えないだろう。色なんて、見易ければそれで足りる。
映像と言うより、文字で構成されているのがネットだから、読みやすければ問題ない。
それに画というコトについては、おそらく素人。それで、発色など気にならない。
やはり画づくりに専念してきたヒト達は、流れて消えてしまうその映像の一要素にも、拘っていく。
専念してきた、プロの仕事がそこにある。
それはテレビの中でもCMが際立っている。普通のテレビ番組は、そこまでではない。
一部ドキュメンタリーの映像は、美しい。美しいが、華やかではない。
やはり短い時間で、惹き付ける為に要素は凝縮され、より心地よい状態をつくり出している。
華やかさという、一瞬の広がり。同時に、絶え間なく根底に流れる、動じない信念。
その広がりと、信念が華やかさをつくる。
華やかさは深い。一朝一夕で出来るモノではない。
華やかさ自体は、瞬間かもしれないが、そこに辿りつくまでの道筋は、驚くほど長いハズ。
華やかさには、根拠がいる。根拠がないモノは、華やかに見せるコトが出来ても、軽くて薄い。まるで別物。
ネットなどの即時性、アドリブ性の高いメディアが広がるにつれ、追いやられていくのは作り込みのメディア。
でも、作り込まれたモノは、やはり良い。それは失いたくないモノ。心地良いモノ。
テレビは、作り込みに舵を取らないと、沈没する。色も音も、内容も、全て作り込んで心地イイをつくり出す。
それは絶対手放さない。視聴者が作り込まれたモノを、手放すコトはない。
そこには、本物ならではの、心地良さと、重厚感がある。
華やかさの一要素である信念は、見るコトは出来ない。というよりも見せない。見せない美学。
見せないので気づかないが、シッカリと感じさせる。みんな感じるコトは出来る、理由は分からないまでも。
その表面にあらわれてこない、確かなモノが重厚感をつくり出す。重厚感は揺らがない。
それは存在感となる。主張などしなくても、シッカリとそこに存在する。
見せない部分が、そこに繋がる。それでいながら、見た目の美しさも忘れない。その広がりが華やかさ。
説明したら野暮になる。見えたら野暮になる。見せない奥ゆかしさ、そしてその確かさ。それを失ってはいけない。
華やかは、作り込み。見せない拘りの量だけ、表面はさらに華やかに煌めく。拘りを失ったら流される。表に出したら、疎まれる。