してん
駒を動かす。
見える景色は、様変わりする。
視点を動かせば、見える景色は変わる。そこを原点として、広がっていく。
見えていると思っている。思い込んでしまっている。
でも自分という駒を動かせば、まるで違う世界が広がる。
それはイメージする世界でも同じ。
まだ見えない世界の近くまで、自分という駒を進める。そこでもまだ見えないまま。
見えないままで、探って行く。あの時はどうだろう?こうなったらどうだろう?
もしこうだったら、ああかもしれない。この時はこうなるかもしれない。とすると、こういう可能性が出てくる。
闇の鍵穴に、何本も想定の鍵をつっこみながら、無限の可能性を、有限に小さくしていく。
そこの場に駒を動かさなければ、鍵を差し込むコトも出来ない。
闇は何重にも続く。ひとつ闇を開けるコトが出来ても、次が待ち構えている。
そこに答えがあるという保障もない。それでも鍵を当てはめ続ける。
ぼんやりとイメージする中では、出てきてはくれない。それは本当の姿は、見せていない。
そこに自分の駒を動かし、徹底して鍵を当てはめ続けないと、開かない。
ひとつ開いても、次で矛盾が生じれば、また最初からやり直し。
なんどでもなんどでも、執着して試行錯誤を続けなければ、開かれない。
闇が大きいほどに、難解で厄介。それは感覚的に、最初から分かる。
嫌だなと思いながら、そこに駒を進める。やはり難解。でも、想定の鍵を当てはめ続ける。
その場から広がる世界。現場での作業。逃げるコトは出来る。でも逃げたら、1ミリも進まない。
辿り着ける保障はない。それでも執着してやる。
闇から発生しているシッポを掴み、それがどこから来てどこへ行くのか、線を引く。
さらに他のシッポも掴み、また線を引く。その線達が、交わっている所が怪しい。
そこは最初思っていた所から、全然離れているコトもある。思いがけない方向にも行く。
何かがあるその場所に、駒を進めてまたくり返す。くり返すが、もう無限ではない。核心に近づいている。
感覚的にも、近いと感じる。そこに居る。
自分の駒を動かさなければ、わからない。駒は現場現場で、その役目を果たす。
遠くとそこの場では、情報量が違う。そして感じ取れる量も違う。
材料がその場の方が、あきらかに多い。その場でないと、開かない。
材料があり、執着して、何度も試す。それが、未知の世界を開く、唯一の道。
視点は、動かす。材料が調うコトが第一歩。自分という駒は、現場に。その場で、掘る。