せいとう
裏切らないようにする。
勘定しやすくする。
政党というモノがあるのは、なぜだろう。それは裏切らないように縛り、勘定しやすくする為。
自分とすべてにおいて考えが同じヒトは、存在しない。
人数が多くなるほど、同じ考えにするには無理が出てくる。
そこで縛り付ける。党拘束というモノの、ご登場になる。
党の中でバラバラになられては、数として勘定出来ない。
勘定が出来ないと、勢力がどのくらいなのか、確認出来ない。
一番の勢力にならないと、実際の政治はやらせてもらえない。
それで政党を作る。
政党は、もともと同じ考えのヒトの集まり。それが、政権を取る為の、集まりになってしまう。
政権を取るというコトでは、考えが一致しているが、それ以外は無理をして集まっている。
さらに、政権を取っても、本当に政治が出来るのは僅かなので、そこで政党内のイス取り争いが始まってしまう。
政党というのは、数合わせ。政権を取る為だけのモノ。
ならばそれはそれで良いとして、政策と切り離してしまうというのは、どうだろう。
政策と政党というモノは、とても大雑把には関連付けられるが、個々になると不一致が生じてしまう。
一人のヒトでも、いろんな考えを内包していて、コレも大雑把になってしまう。
とするならば、政策ひとつひとつにジャッジを出来る仕組みを、新たに組み上げるべきだと思う。
政党助成金も、企業献金も、政治家個人に献金するコトも禁止して、政策に献金出来るようにするべきだと思う。
国会議員は、政策が支持されれば収入を得られる。そのお金は国民から出てくる。
つまり、国民一人ひとりが、政策にジャッジするコトが可能になる。
献金も一日あたり、一人100円という上限を決め、一人が沢山献金をするコトを認めない。
沢山人に支持されて、政策は通っていく。
出された政策に賛同した議員に、集まった献金は山分けされる。
ただし採決の時、自分が賛同した政策に一票を投じなければイケない。別の政策に、採決の時乗り換えるコトは出来ない。
そこはキッチリ、縛りを付けておく。
そうしなければ、お金はもらっているのに、同じ考えで献金したヒトを、裏切るコトになる。
そうなると、システム自体が成り立たない。
政党は政党として残す。大臣などの、日常業務をやればいい。
それと、思想の入るコト。つまり天皇や自衛隊関係、もっと言えば大日本帝国思想的なモノの議論をすればいい。
思想は、絶対必要と、絶対要らないの両極が存在するので、話し合いにはならない。
勢力争いをすればいい。大雑把なので、政党に向いている行為。
結局国会議員を選ぶのは、大雑把な方向性と通常業務の為。
そして、政策に献金するのは、個々の政策に賛同し、民意を反映する為。
機能していないのであれば、新たに付け加える。そういうシステムがあっても良い。
政党は、大雑把。政策に献金するコトで、民意を反映出来る。議員の収入源なので、民意は裏切れない。とうぜん、国民責任も増加する。