せいさい
乗っかる。
便乗して行われている。
こっぴどくやる。制裁してもいい相手なら、便乗する。
そこまでやるかと思えるくらい、制裁は行われる。
集団での、感情的な行い。
ターゲットが決まったら、みんなで制裁を加える。感情的なので、本当に悪いかは、怪しい場合もある。
それでも構わない。そのターゲットを求めている。
簡単にいえば、憂さ晴らし。
憂さ晴らししたいヒトが、世の中には溢れている。それで便乗しての制裁になる。
個人の生活が良好でないと、見えない形での鬱積は溜まっていく。
表面上は普通を装い、そぶりも見せないヒトの中に、相当ドロドロしたものが溜まっている。
そのドロドロの圧力が高まり、噴出出来る場所があれば、一気に吹き出していく。
乗っかって制裁する分には、リスクは少ない。自分の身に危険が降りかかるコトも、ほとんどない。
安全圏から石を投げる。制裁をするコトでの憂さ晴らしは、えげつないモノになる。
とはいえ、それで本当に解決しなければならない個人の生活が、改善されるモノでもない。
あくまでガス抜き。
そして他人ゴトなので、感情的でイイ加減でもある。
本当に悪いのか、それを確かめようとはしない。みんなやっているからと、尻馬に乗る
適当に自分の考えや意見を付けて、更なる悪者に仕立てていく。他人ゴトなので、それも平気。
無責任な制裁なので、何も確認しない。憂さ晴らしなので、ただ乗るだけ。
それはとても楽しい。でも気をつけた方がイイ。そのターゲットは、歪曲されているかもしれない。
本当は悪くないかもしれない。
そして、自分が制裁を下すべき相手なのかも、一度冷静になって見つめて欲しい。
もしも確証が持てないなら、制裁に加わるべきではない。
現在は、ネットなどでとても簡単に制裁が行える。
制裁する側は気晴らしで、遊びの延長。でも、受ける側はかなりの傷を負う。
リスクは少ないかもしれない。でも、無実のヒトへの制裁に荷担すれば、それは逃げてはイケない。
無実のヒトに向けられたならば、それは暴力であって、取り返しがつかない。
制裁は憂さ晴らし。本来解決すべき所は他にあり、不的確な代償行動。乗っからないのも、勇気。