のこらないもの
感動はたちまち。
発展も、いつの間にやら消える。
感動や発展は、すぐに当然のコトになり、残らない。
日々すごしていく中で、感動と言えるほどの出来事は、案外多い。
でもこれは、次の世代までは残らない。事実としては残るが、その感動までは残らない。
それが無かった時代の中で、突然に現れる衝撃。その感動。
未来のヒトは、それがなかった状況が分からない。事細かに残さないと、次の時代には引き継がれない。
たとえばとても身近なコト。パソコンが来て、プリンターで印刷。
自分が打ち込んだ文字が、綺麗な字でプリンターから印刷されて出てきた時は、顔のほころびが止まらなかった。
それ以前は、印刷された綺麗な文字など、新聞か印刷屋さんが刷ったモノしか、あり得なかった。
それが自宅で、自分の打ち込んだ文字が、印刷される。それだけでとても興奮し、感動もした。
でも、それは伝えなければ、残らない。
日々いろんな技術や、素晴らしいモノが生まれている。沢山発展している。
それを一番感じるのは、それがなかったヒト達。最初に触れるヒト達。
そのヒトたちが感じて、そしていつの間にやら消え去る。
おびただしいほど、発展している。その都度ひどく感動している。
それなのにそれは、残ってはくれない。でも、そこが一番大切なんだと思う。
その残らないモノは、残さないとイケないモノだと思う。
新たなモノが出来ると、世の中は一変する。そして、すぐそれはありきたりになる。
爆発的に広がるほど、ありきたりになるのも早い。まるで花火のように、一瞬の出来事。
それはそれで潔ぎイイとしても、後のヒトからはその時のコトは、本当の意味では分からない。
ある程度察するコトは出来て、想像するコトは出来る。でも本当にそうなのか、不確かなピースが悔やませる。
分かりえない、埋まるコトのないピース。
もしも過去のヒト達が、ひとつひとつ感動を描写してくれていたら、私たちは過去をもっとよく知るコトが出来る。
それは手に取るように、現実に存在するように。
無かった時代から、新たに生まれた時の感動。ヒトの営みの大きな一つが、ヒトである事を証明してくれる。
モノが生まれるコトを、残したいのではない。その時のヒトの感動を、残したい。
なぜならば、残らないから。ヒトがそこに居た瑞々しい証拠が、残らず消えてしまうから。
おびただしい感動を、ひとつひとつ残す。それは、次の世代への遺産。そしてその時代の描写。
残らないモノは、大切。感動は瑞々しい。その糸口から、ヒトはそこにいるように映し出される。