りょこうしゃ
誰かが変えてくれる。
自分は何もしなくても良い。
生きているのはこの時代。まるで旅行をしているかのように、この時代は変化していく。
もし仮に自分が一歩も動かなかったとしても、周りの状況は刻々と変化する。
誰かが何かをしてくれるし、何かをしでかしもする。
それを眺めているだけでも、この時代に生きている意味がある。
それは何かのアトラクションに乗っているようなモノ。
半自動的に景色は変わる。
自分はその時代の傍観者。良い事ばかりではないが、その中でも、楽しんでいく。
さらには、参加者にもなれる。ほんの僅かだが、この時代は自分の存在や行動で変わっていく。
全くの傍観者でもないし、すべての参加者というワケでもない。
ある意味難しい立ち位置だが、気楽だとも言い換えられる。
この時代から逃れるコトは出来ず、必ず巻き込まれるが、それがこの時代なのでしょうがない。
この時代しか味わえないので、この時代を堪能するしかない。
いろんなヒトが面白いモノや、良いモノを造ってくれる。
それは一昔前では考えられなかったモノ。
一つ良いモノが出来て、それを継承してさらに良いモノが出来るまでの間は、お楽しみとなる。
本当に面白いモノ、良いモノというのは、造るのにも時間がかかる。
その分楽しみの期間も、長くなっていく。
今、そんな楽しみが、いくつあるだろうか。数えてみると、結構多い。
やっぱり自分は、この時代に生きて、この時代を楽しんでる。
いろんなヒト達が造ってくれる、素晴らしいモノ達が、アミューズメントパークのように広がっていく。
誰かが造ってくれるモノ達は、とても素晴らしい。
ではこの時代ではなく、もっとヒトの影響力がなかった時代に生まれたら、どうだったろう。
ヒトのチカラが弱いほどに、日々を生き抜くコトがテーマになる。
未来から見れば大変な時代だが、その時のヒトは未来は知らない。過去だけしか知らない。
過去と比れば、どの時代も結構恵まれているのかもしれない。ヒトが望んで、少しずつそうなっているように思う。
ほとんどは誰かがやってくれる。傍観者が基本。気楽な傍観者で、良い。
旅行者は気楽。みんな傍観者で、ほんのちょっとだけ参加者。私たちはこの時代の、証人。