えん
どこも、一定の距離に保たれる。
始点と終点を結びつけて、輪郭。
その輪郭が、中心からどこも同距離なのが円。
ヒトが最初に絵を描いた時。おそらくそれは線。
線の始点と終点を結ぶと、輪郭になる。
この世の物質は、すべて大きさを持つ。それは輪郭があるから。
始点と終点が繋がらなければ、破綻してしまう。モノとして、認識されなくなる。
線の始点と終点を結びつけた時、人類はモノを描けるようになった。
さらにその線が、中心から等間隔になれば、円になる。
手書きの場合、どうしても線はヨレヨレになる。これは等間隔ではない。
中心を固定して、紐で長さを一定に保ちながら線を引き、終点にピタッと納める。それで円が完成する。
この円を見て、ヒトは美しいと感じる。それはなんでだろう。
手書きのいびつな円は、滞りが出来る。ヨレヨレの部分で、なめらかさは失われる。
なめらかに流れない時、その流れが止まってしまう時、美しくないと判断するのかもしれない。
円はなめらかに流れて、永遠に続く。始点と終点が繋がれば、永遠が約束される。
物質が輪郭を作るのも、永遠を現しているのかもしれない。
円のように美しくはない。でも、破綻しないかぎり、永遠でいられる。
我々生命は、比較的早く破綻してしまう。なので次に託す。
でも星々の寿命は、遙かに長い。つまり破綻するまでが、相当長い。おそらく流れる時間は相当違う。
我々生命も、星も物質。すべてが輪郭を持ち、破綻しない。もちろん物質の場合、円ではなく球。
中心から等間隔なら、球になる。どこから見ても円。あまりに同じなので、止まって見える。
動いていても、ずっと単調な円が続き、流れない。球体は美しいし、美しくない。
美しいと思わせる、流れが生まれない。円は、見る角度を付けるほどに、楕円になり、最終的に線になる。
円である為には、正面から見なければイケない。自分で見る角度を、美しさに合わせる。そこが球とは違う。
球は完璧なのかもしれない。円は、完璧ではないのかもしれない。美しさと完璧さとは、別物に思えてきた。
完璧は、流れを止めてしまう。完璧すぎて、余地を排除してしまう。余地がなければ、流れない。
流れは、差が生み出す運動。完璧で余地がなければ、差が出来ず流れない。それで美しいとも思えない。
なめらかに流れて、余地もある円を、ヒトは美しいと感じている。
円は美しい。始点と終点が繋がり、中心点から等間隔。それは平等で、最強のカタチ。そしてとてもやさしい。