おとなとおとな
お金を得る宿命。
雇う側は、お金を与える役目。
大人と大人の関係の一つが、お金を与えたり、貰ったりするというモノ。
これは普通の、人とヒトとの関係とは、少し違う。どう違うか、探ってみる。
ヒトとヒトとの関係は、ほとんどの場合情が含まれる。
それが憎しみだろうと、情には違いがない。
しかしながら、雇い手と働き手の関係は、情が含まれるモノではない。
最初から、違う方向で進んでいく。
大人ならば、お金を得て自分で生活を組み上げないとイケない。そのお金を得る為の関係。
雇う側は、より多くのお金を得る為に、働き手を求める。働き手も、生活の為にお金を得られる場所を求める。
双方のお金を得たいという、大人の目的は一致している。
その一致の上で、大人と大人の一つの関係。雇う側と、働き手の関係。
仕事という行為の代わりに、お客さんからお金を頂く。
その仕組みのパッケージが、企業。その企業の、方向性とカタチをデザインするのが、雇い手となる。
働き手は、雇い手がデザインした通りに仕事をこなして、お客さんからお金を得る。
雇い手と働き手は、大人と大人なので対等である。
仕事上において、雇い手のデザイン通りに動く必要はあるが、それ以外は対等でなければおかしい。
これがどうもそうなっていない。全人格において、雇い主の方が働き手よりも、上の立場になっている。
これは雇い主よりも、働き手の方に問題がある。ただ、働いて良い仕事をすればイイだけのコト。
それなのに、お金を貰うというのを負い目に感じてか、必要以上にへつらってしまう。
そこに雇い手の方にも、付け入る隙を与えてしまい、仕事とは関係ない所まで踏み込まれてしまう。
これは大人と大人の関係ではない。大人と子供の関係、もしくは子供と子供の関係と言える。
本当は大人として、分別を付けないとイケない。踏み込んで良いトコロと、悪いトコロを見極めなければならない。
日本の中では、大人と大人の関係と言えるモノが無いと言ってイイ。
どの人も、その自覚がない。基本的な、大人と大人という意識が無さ過ぎる。
あくまで、大人と大人。それは対等の上に成り立つ。
他の国のヒトと相対して、遠慮してしまったり、逆に低く見るのは、大人と大人という意識がない為。
対等だという意識が、足りない為。
個人も、対等であるという根本的な考えに基づかないと、意味が薄くなる。
対等でなければならない。配慮と、尊重がなければならない。
大人と大人である以上、踏み込んで良いトコロとイケない所が存在する。
悪気はなくても、必要以上に踏み込んではイケない。そして、対等を基本とするなら、上下関係も要らない。
大人と大人は、対等。その意識は自分に向けられる。まだ慣れていない、すぐ出来なくてもイイ。でも、子供のままでは、いられない。