へん
幼き頃は、そのまま受け入れる。
成長する毎に、仕分けが始まっていく。
仕分けて、外側に置かれると、変となる。
変なモノというのは、とても便利で、とりあえず理解に苦しむと、変の場所に置いておく。
さらに生きて経験していくと、変の中に入れていたモノの見え方が違ってくる。
物事のウラ側、ヒトのウラ側も分かるようになる。
経験が少ない時は、表面しか見えない。表面だけで判断して、理解出来なければ変としておく。
でも長く生きていくと、一人の中にも多様な要素があり、自分の中にある多様な要素も見えるようになる。
すると、自分も変の中に入ってしまうコトに気づく。
理解の外側が変なので、そこに自分が入った時点で、変は理解出来ないモノではなくなる。
変が存在するうちは、まだまだ甘い。まだまだ生きていろいろと経験したい。
表面ではなく、裏側が見えるというのは、結構大変。苦しい経験も、沢山欲しい。
変は、猶予。本当に理解するまでの、仮の置き場所。変に見えたら、まだウラ側が存在する。