とっか
個として、独立する。
独立して、可能性が広がる。
バラバラになって、それぞれ特化すれば、生き残る可能性は高くなる。
同じで、しかもひと塊となると、生き残る確率は低くなる。
バラバラな個である意味。
それぞれが、それぞれに特化するべき。
でも、それだけでは足りない。
たとえ特化出来たとしても、それだけならバラバラなまま。
繋げて、補い合いのカタチに、持っていきたい。
その為には、痛みや苦しみが要る。
あらがえない苦しみの中で、突き落とされたみじめさの中で、実感として補われるありがたさを知る。
相手のプライドを保ちながら、丁寧に補っていく。
カタチに拘らず、もっと本質的な存在ごと、持ち上げていく意識。
特化だけだと、粗暴になる危険性がある。それはヒトが目指す、最終形態ではない。
ヒトは、価値ある存在になるコトを、目指さなければイケない。
ヒトの価値は、ヒトが決める。目指すべき最終形態は、そこにある。
苦しみや痛みをコレクションする度に、実感として苦しみや痛みが、刻まれる。
他のヒトの苦しみや痛みも、自分に刻まれた苦しみや痛みで、理解出来るようになる。
自分の苦しみや痛みを本当に理解してくれる人が居たら、それはとても価値ある存在。
それは目指すべき、最終形態。
能力を特化させながら、苦しんでいるヒトを、理解し補っていく。
他人の評価で決められるのは、とても厳しい。
いや、重要なのはヒトではない。最終形態はそこではない。
最終形態は、あらゆる痛みを知り、ないがしろにしない心の持ちよう。
そして、相手の苦しみを推し量り、熟慮して行動する。
もちろんそれは最終形態なので、現段階からかけ離れていても問題はない。
目指すべき所。そこに行き着くには、まだまだ苦しみや、痛みが足らなすぎる。
特化もし、経験を刻み、自分の中で消化して最終形態にいたる。先は長すぎる。
特化は、使命。最終形態まで、のんびりいろんなモノを味わい、刻みつける。ヒトが生きる理由は、ソレ。