きにかける
重荷ともなる。
人間関係とは、難しい。
気にかけられるのが、人間関係の基本になる。
誰も気にかけてくれない状態、それは人間関係から、遮断されたカタチ。
それはとても危ういが、気楽でもある。
気楽を求めて、極力気にかけられないように、持っていこうとするヒトもいる。
気にかけられるのは、恵まれていると同時に、重荷にも感じさせる。
どうして気にかけられるコトは、重荷と感じてしまうのだろう。
気にかけられると同時に、求められるモノもある。
求められれば、応えなければイケない。それが重荷になっているのだろうか。
おそらくそれも一要因。ただ、それだけではない。他に何かがある。
気にかけてもらえるコトが、当たり前ではなく、ありがたすぎて申し訳ないという感じだろうか。
そういう感覚があり、それも重荷と感じさせる一要因。
ありがたすぎて申し訳ないのと同時に、逆の立場であればお返しをしなければイケない。
そのお返しが出来るだけの、自信が無くて重荷に感じるのかもしれない。
人が気にかけてくれるコトを、過大に受け止めすぎてしまって、逃げたくなるように思う。
さらには、気にかけられたりというようなコトがあると、自分のペースが乱されるという点も、一要素かもしれない。
人間関係が苦手になる外的要因があると言うよりも、本人がペースを守りたいという、内的要因かもしれない。
もともとヒトそれぞれまるで違うので、気にかけてくれても、ポイントは少しずつズレてしまう。
シックリと、自分が欲しい所に届いてくれる気遣いというのは、案外少ない。
そのズレというのも、重荷というマイナスの感覚に、繋がっているように思う。
人間関係の煩わしさが無くても、生きていける世の中なので、遮断してしまうのかもしれない。
気にかけるは、想い。人の想いは不的確で、ペースも乱す。乱してしまう歩調なら、距離をとって寄り添いたい。