てきとう
突き詰めるほど、遠ざかっていく。
弛んだその方向からは、離れてしまう。
適当という状態は、果たして悪いモノだろうか。
適当や、イイ加減は、悪い言葉として使われている。
言葉だけで見てみる。適するというのは良い言葉。良い、そして加減も、悪くない。
言葉だけならば、まるで悪くはない。とすると、実際にどうなるかを検証してみよう。
適当や、イイ加減で出来上がるモノ、そこに良いモノはない。
ダメなモノで、ヒトに迷惑をかけるコトになる危険もある。
適当やイイ加減が生み出すモノは、ヒトの生活にとっては、好ましくないと言える。
では突き詰め、ヒトの生活にとって好ましいモノが出来たとする。
突き詰めるコトが出来たヒトは、それを喜び、さらに突き詰めようとする。
それは良いコトなのだが、突き詰めすぎてしまうと、自らに無理を強いるコトになる。
突き詰めてもどうにもなら無いモノまで、それをやる。
人の健康にとっては、適当やイイ加減である方が、好ましいと思う。
世の中にとっては突き詰めた方が、好ましく、健康にとっては、適当やイイ加減が好ましい。
真逆のどちらの方向とも重要で、どこまでなら良くて、どこまでなら悪いのかも決まっていない。
その中で、ヒトはどうするべきなのか。ヒトは、どう生きればいいのか。
答えは用意されていない。その中で、ヒトが描き出す。
突き詰める方に進んでも、適当な方に進んでも、どちらでも良い。
その時その時で、行ったり来たりしたって構わない。
その時の状況を見ながら、自分で判断して、正解は導き出していく。
適当は、緩和。突き詰めると、適当の真逆の方向性。迷惑かけない程度に、健康を害さない程度に。