ひてい
道に沿う。
そこに進化や、新たな可能性はない。
否定の先にしか、発展はないが、否定をくり返すと、最終的に肯定に辿り着く。
それは受動的ではない。許しによる肯定。
そして許しがなかった自分へ否定。
現状よりもより良いモノを求めるならば、否定になる。
何も求めないのであれば、受動的に肯定をくり返せばいい。それはとても穏やかな生き方。
より良いモノを求める者と、何も求めない者、方向性の違いから時としてお互いを否定しあうコトにもなる。
否定には、より良いモノを求める場合と、立場を守る場合の2種類がある。
その否定のし合いは、どの国においても、どの時代においても行われてきた。
その対立の時には、何も変わるコトはない。現実的に変わるのは、その対立を見ていた子供たちの世代による。
時間は掛かる。それでも対立というカタチで見せなければ、子供たちの世代になっても、変わらないまま。
否定と肯定。過去と現代は肯定に支えられ、未来は否定から作られる。
未来を作る否定も、いずれ肯定に辿り着く。
否定の対立状態から、妥協しておさめる場合と、もう一つは否定の繰り返しによる矛盾から、肯定に辿り着く場合がある。
否定はくり返すと、自分にも向けられる。世の中に向けていたモノを、自分に向けるようになる。
自分に向けられた否定は、世の中を許すコトで、その答えとする。
それまで悪者をつくって、それを否定したモノを、悪者をつくらない考えに改めていく。
主張される考えは何一つ変わらないが、悪者をつくらないというコトは、大きな進歩と言える。
その時には、否定というカタチではなく、提案と許しになっている。
より現実的で、中身に特化した、研ぎ澄まされたモノになる。
それは受動的な肯定ではなく、許しに基づく、現実的で全方向的な肯定。
全方向的というのは、敵対も味方の立場も踏まえる、両方への配慮。真実の先にある、融和の世界。
否定は、対立。更なる否定の繰り返しで、悪者をつくらない融和に辿り着く。真実はゴールではなく、通過点。