がすぬき
溜まっている。
災害を起こすならば、使っても差し支えない。
災害を起こすエネルギーならば、使うコトでガス抜き出来る。
東日本大震災を無理矢理にひとつにくくるならば、エネルギーという概念になる。
地震も原発も、製油所も、停電も、ガソリンも全てエネルギー。
現代の文化的な生活をし続けるには、エネルギーは不可欠な存在。
しかしながら、大きすぎるエネルギーは、危険でもある。
ひとたび暴走すれば、多大な被害をもたらす災害になってしまう。
そのエネルギーが、ニンゲンによって造られるモノであるならば、暴走させてはいけない。
暴走を許してしまうのであれば、そんなモノは造ってはいけない。
それが自然の災害で、暴走する程のエネルギーがあるなら、利用しない手はない。
どうせ、無駄に消えていくエネルギー。被害を出すエネルギーならば、使ったとしても何の問題もない。
問題は、使えるかどうか。使っても問題ないエネルギーといえども、相手は強大すぎる。
最初から使うコトを考えては、カタチになる前に立ち消えてしまう。
まずはガス抜きだけに絞りたい。暴走しないように、エネルギーのガス抜き。
ガス抜きが出来るようになってから、その抜いたエネルギーを使うコトを考える。
壮大な計画になるが、これからのエネルギーを考える上で、あってもイイ選択肢だと思う。
枯渇する可能性のあるエネルギーだが、災害を起こす分は、有り余っていると考えてイイ。
その分を使わせて頂くだけ。災害のエネルギー化。無駄にではなく、有効に利用する。
ガス抜きは、最初の一歩。プレートを移動させるエネルギーを、頂いちゃう。壮大で、野心的な着想。