なっちゃった
それでもなお、取り繕うとする。
考えていないコトが起こった時、その行動になる。
爆発しちゃった。漏れちゃった。放射線出ちゃった。考えていないので、後手後手に回る。
どんなに考えていたとしても、不具合というのは出てきてしまう。
それを出さない為に、どんな時でも考え続ける。
考え続ける人間ならば、万全を期していても、不具合が起こる可能性も捨てはしない。
不具合は思わぬ所から、来てしまう。それを知っている人間は、安全ですとは言わない。
大丈夫ですとも言わない。
安心です、大丈夫ですというのは、危険なモノを言葉で取り繕っているだけの行為。
本当に考えていれば、言葉を使いはしない。それは、言葉が意味を持たないコトを知っているから。
やるべきは言葉を使うコトではなく、実際に考えて、対策で示すコト。
さらにそれでも不具合が出てしまったら、その時は謝罪と説明と対応を、迅速に行う。
次が起こる前に、先手先手を打っていく。これは普段から、考えている者なら、さほど難しい行動ではない。
ただ、考えていない者は、まさかまさかの連続で、唖然として立ち尽くすしかない。
言葉で取り繕うコトしかしていないので、危機が実際に起こっても、取り繕うコトしかできない。
その時はまるで、当事者とは言えない素人のような、対応になる。
吹き飛んじゃった、バラ巻いちゃった、数値上がっちゃった、足りなくなっちゃった、後手後手の連続。
事実の公開もしない。そんなコトは今までしたコトがないし、今までと言ってるコトが違ってしまう。
今まで以外のコトをするには、勇気と覚悟がいる。
勇気も覚悟もないので、今までのカタチにしがみつく。それが安全と大丈夫。
実状とズレていても、安全と大丈夫しか今まで言ってこなかったので、そこに逃げるしかない。
無能で危険と思った方がイイ。安全と大丈夫を語るニンゲンは、能力も覚悟もない、役に立たない存在。
なっちゃったは、後手後手。不具合に対処できる者は、安全も大丈夫も言わない。相手が決めるコトを、自分では言わない。