じゅんい
依存の中に。
そして組織の中にも。
依存デキる存在を探して、それをつくりあげる。そこを頂点とした、順位システムが出来上がる。
独裁者を作るのもヒト。みんなで持ち上げて、王様、殿様、教祖様、独裁者様を作りあげてしまう。
偉大な存在を作りあげて、依存するコトで、安定を求める。
それが自分たちの手で作りあげたモノなら、そこから順位付けをはじめる。
依存するニンゲンがするのは、そのシステムの中での、順位決め。
組織の中で、順位で区切って安定する。
依存するのは、とても無責任な行為。偉大な存在に丸投げするコトで、自分たちは無責任でいられる。
偉大な頂点にしっぽを振りながら、良いポジションを貰おうとするコトで、順位が出来る。
これは形式で、中身は伴わない。依存をするヒトは、無責任で中身はない分、形式で全てを仕切る。
なぜ中身がないかといえば、分からないから。丸投げするのも、分からないから。
としても、分からないと認めたくはない。無責任でも、プライドはある。
その分からなさ、そして中身の無さは、忠誠心の高さで埋める。つまりはさらに依存するコトにより、うやむやにする。
それが形式化。
依存を好むニンゲンは、とても多い。それで社会は出来上がっている。
なので、中身の伴わない形式化も、横行する。
私は中身だけを重要視する。というよりも、中身だけしか見ない。
どうりで生き難いワケである。これだけ形式化された中身のない世界では、生き方が合うワケがない。
私にとっては順位なども要らない。組織も形式も要らない。
そこに的確な良い仕事と、責任があればいい。
おそらく役目が違う。責任と無責任のヒトは役目が、同じではない。
ただ、無責任では破綻する。大きな組織になるほどに、東電のようなリスクがそこに横たわる。
さらには独裁者を作るのも、無責任から。持ち上げすぎるのは好ましくなく、リーダーを待望するのも、間違い。
権限を持つモノは自ら泥をかぶって、みんなに不利益が行かないように、捨て駒になるのが好ましい。
持ち上げられたそのままに、特権意識のぬるま湯に浸かれば、皆が泥をかぶるコトになる。
中身のある者は、権限は持つが、上には立たない。順位も要らない。
順位は、いやらしさ。依存は、権限を持つ者の質を下げるだけ。無責任で、卑怯で、いやらしいニンゲンで社会は出来てしまっている。