えすかれーしょん

やきいん

やきいん

日の当たらない側。

そちらから見える景色に、真実はある。

消えない焼き印を押され、日の当たらない側に行く。

みんな日の当たる側を求め、そうでないモノを差別している。

それはまるで消えるコトの無い焼き印を押されたように、ずっとついて回る。

日の当たらない側であるという、卑屈な想いが、自分を縛っていく。

それは自分の中の差別心。自分の中にある差別する心が、その立場の自分も差別して追い詰めていく。

他人に向けられた差別の心が、自分に返ってくる時。それは逃れられない焼き印。

とても無責任に、差別はしている。軽い気持ちでしている行為で、相手を傷つけている。

軽い気持ちであっても、それは自分の本質。それが自分のありのままの姿。

その差別するという本質の自分が、自分を差別して苦しめる。

なぜ苦しいのかと言えば、差別をするから。差別を止めるコトが出来るのならば、何一つ苦しむコトはない。

とても簡単なコトではあるが、本質の自分を変えるというのは、難しい。

何よりも、差別している対象の中に、自分が居ると認めるだけでも難しい。

ただ、考えてみるとこれは、誰かの基準。誰かの差別の基準に、自分が乗っかっているにすぎない。

本質の自分を変えたいならば、自分の基準を持たなければならない。

自分の基準は、まず差別を分析するコト。なぜ、差別しているかに向き合い、分析していく。

すると自分のモノの見方、その対象への態度が分かる。つまり基準の中身を知るコトが出来る。

その差別する基準を、差別しない基準に変えていく。自分なりの基準に、作り直す。

とても苦しい作業。途中で、逃げたくなる。それでも分析を続ける。そこに焼き印の本当の意味は隠れている。

誰かの基準では、呪縛があり、それに囚われて差別をする。その基準は表面的であり、安易なモノ。

そんな基準など丸ごと捨てて、それこそもっと本質的な基準で、見ていく。

もっと、ぬくもりや躍動、波長のような本質的なモノに、基準を置く。

見やすい表面から、見え辛い中身に基準を変えていく。

苦しめていた焼き印が消え、深いトコロで人と接っしていけるようになる。

とてつもなく表面的に見ていた、過去の自分がそこに居る。

普通ならば、一生辿り着くコトの出来ない場所。そこに焼き印が導いてくれる。

自分が見たくもないと思うトコロに、本当のモノは存在していた。

差別を乗り越えるとは、深い所にある本当のモノに気づき、表面の基準を捨てるコト。

ヒトを傷つけ、自分も傷つける、誰かが作った基準などいらない。それにはもう惑わされない。

焼き印は、導き。深い本当のモノを、教えてくれる。世の中を支配する浅い基準は、必要なくなる。

-えすかれーしょん