たずねる
インタビューなどを、見て思う。
どうやら、自然に出来るモノではないらしい。
人に上手に訊ねるというのは、自然に出来るモノとは違うらしい。
ヒトに質問するとは、何を意味するのだろう。そこに何が蠢いているのか、探ってみる。
質問は日常的に行われていて、まるで普通の行い。コミュニケーションの一つと言える。
それなのにも関わらず、なぜ上手や下手が存在してしまうのだろうか。
訊ねた時、相手はその答えを返してくる。それは相手の脳の中にあるモノ、それを取り出すコトになる。
ヒトが何を考えているかというのは、外側から見ても、分かりはしない。
訊ねるというのは、そのヒトの脳から、引き出してきていると言える。
とすると、何を引き出して、表に出せばいいのかと言うコトになる。
おそらくそれは独自性。そのヒトならではの方向、スタイルを引き出せれば、成功と言える。
独自性というモノは、大切にしているモノ。大切にしてこだわりのあるモノ。
全てとは言えないが、こだわるモノには、それなりに時間をかける。
とすれば、一番時間をかけているモノは何か?と訊ねるのが、的確と言える。
ただそれは過去においてのコト。ヒトによっては、未来に目と気持ちが、向いてしまっている。
これからどんな風になっていくのか?という将来像を訊ねるのも、側に置いておきたい。
話題につまってしまうのなら、誰しも共通する子供時代のコトを訊ねるのも、引き出しやすい。
自分はこうだったという説明を、前フリとすれば、安心感が出て引き出しやすさも増す。
相手のこだわり、そして未来、さらには過去。それだけの材料があれば、相手の方向性は分かる。
あとは相手の欲望を引きずり出すだけ。脳の中にある、本当のそのヒトを解放させれば、相手も喜ぶ。
一番出したかった所を、理解してくれたと、喜んでくれるハズ。
それは表面的ではなく、深いトコロで通じ合えた証しとなる。
訊ねるは引き出すコト。時間をかけているのがこだわり。深いトコロで、語り合いたい。