うめる
どうやら、充分過ぎるほどにあるようで。
それなのに、追い立てられるように、過ごしてしまう。
時間は何かで埋めてしまわないと、とても不毛だと感じる。
人生の中で、時間というのは案外、充分にある。
確かに様々を犠牲にしなければならないほど、本当に忙しい時もあるが、それは長くは続かない。
時間を何で埋めようか。やらないとイケないコトだけで、すでに埋まっている。余地はない。
その状態でも、やらないとイケないコトというのは、本当にそうなのだろうか。
その中にあるモノをよく見れば、実は切り捨てられるモノばかり。・・・というコトは、ないだろうか。
削ぎ落とせば、時間は充分に確保出来る。それでも、削ぎ落とされたそこは、おそらく不毛なまま過ぎてしまう。
自分の生活の、時間の埋まり方には、どんなカラクリが隠れているんだろう。
不毛な時とは、本当に必要な時の為に、確保されている領域だろうか。
とすると、どうしてこれほど時間に追われて、過ごしているのだろう。
削ぎ落とせるようなコトにも、なぜこんなに執着している。もっと自由なハズなのに。
自由や予備の領域というのが、別の言い方をすると不毛というコトに、なるのだろうか。
自由はのびのびして良いように思うが、後ろを振り向けば何もしていない。白紙のまま。
その白紙を、嫌っているのかもしれない。今日という日が、白紙で終わるコトを、罪悪だと感じているように思う。
それで何かを埋める。それでその日が書き込まれる。白紙は免れる。
まずは、やらなければならないコトが、書き込まれる。その間の余白を、何で埋めるか。
やりたいコトと、やりたくないコトがある。その余白は、やりたいコトだけで埋まる。
自然とそうなるが、それにも少しだけ罪悪感は感じてしまう。書き込まれた1日を、振り返る時そう感じる。
おそらくやりたくないコトの中に、実になるコトがある。それを蔑ろにした分が、罪悪感に変わる。
やりたくないコトをするには、気持ちが要る。気持ちがない為に、いつでもやりたいコトばかりになってしまう。
まずは削ぎ落として、やりたいコトとやりたくないコトの両方で埋めてみる。
やりたいコトの気持ちを使って勢いをつけ、やりたくないコトもしてしまう。
それをすれば、今までよりも1日に書き込まれる内容が、良くなるように思う。
埋めるのは、白紙を避ける為。何で埋めるかは、葛藤。自分との戦い。