かがくしき
それは明確なモノ。
混ぜてしまった段階で、使えたモンじゃない。
ゴミというモノに、化学式をつけるコトを、提案してみたい。
ヒトが生活するので、どうしてもいろんなゴミが出てきてしまう。
ゴミは、最初からゴミだったワケではない。役目を終え、不要になったモノがゴミとなる。
ゴミは以前は、それぞれに役目を持っていたモノ。そのそれぞれを一緒くたにして、放出するとゴミと呼ばれる。
文明が進むにつれて、ゴミは増え続ける一方で、その対処は燃やすか埋めるかというお粗末なモノ。
一緒くたにする前の、商品の段階から、化学式で認識をしたい。
それぞれの物質毎で、そのあとの道を用意してあげられるように、してあげたい。
商品は、当然原材料から、造られている。この原材料も、化学式で表し、認識する。
不要物と、原材料を、同じ化学式という板の上にのせ、同じ世界に引きずり込んでみる。
そこには、おそらく大きな隔たりがある。ただ、同じ世界の上、あとは隔たりを埋めれば2者は繋がる。
不要物と、原材料が繋がるなら、それは巨大な輪になる。
輪は知恵であり、永遠を意味する。循環は、永遠を期待させてくれる。
少なくとも、それは未来のニンゲンに対しても、胸をはって自慢しても良い、高級な行い。
再生に必要な化学式になるまで、不要物を持っていく。再生はヒトのチカラだけで行わなくてもいい。
沢山の微生物が、チカラを貸してくれる。それに甘えて、循環の輪を作ればいい。
商品の段階から、循環しやすいように、配慮して造る。化学式にして、その物質を取り出しやすいように、工夫を心がけていたい。
様々な加工は、暮らしを豊かにしてくれた。でも、我々は未来を想像出来る存在。
ゴミという、使い物にならないモノを増やしては、先がずっとは続かないコトぐらい、予想はつく。
産業革命以来、ずっと棚上げしてきたテーマ。いつまでも、逃げているワケにもいかない。
昔はそれで仕方がなかった。でも、今の技術なら出来る。今の科学なら出来る。
不要物と原材料を、全て化学式にして、第一歩を踏み出す。
化学式は、明確さ。ゴミは、いい加減で低級な象徴。循環の輪を、生きている内に見てみたい。