いぞん
進歩は便利な方に、向かうさだめ。
その恩恵の分、失うコトなど、考えたくはない。
便利なモノに依存して、生きている。もしもそれが、突然ストップした場合、どうなってしまうのだろう。
現在はさまざまな所でコンピューターが使われ、それに依存した生活になっている。
なるほど便利で、欠かすコトなど出来ない。ただ、それだけ嫌な想像がよぎる。
誰しもそんなコトなど、考えたくはない。便利さの温室の中で、ぬくぬくと過ごしていたい。
でも、やはり目をそらすコトは、現代人の務めを果たさないコトになる。
インターネットやコンピューターが、担ってくれるモノは大きい。それは日に日に膨大になる一方。
インターネットやコンピューターが、絶対的に安定しているモノならばいい。
でも、実際には意外に脆い。
もちろんネットの責任者は、何重にも安全策を講じて、重大なアクシデントが起こらないように、努めている。
ただ、我々依存者も、使えなくなったときのコトを考えて、切り替えられるようにしておきたい。
依存者だからこそ、依存しなくても困らないように、ある程度訓練が必要になる。
それは簡単にいえば、昔に戻るコト。訓練といっても、それだけでいい。
今の生活を、昔の技術でするならば、どういった形式になるのか、それを楽しみたい。
どれを我慢して、何を代用するのか。
もちろん順調にモノが進み、何もかもうまくいくに越したコトはない。実際それほどのコトは、そうは起こらない。
でも、依存者は依存者としての務めをまっとうするべきと、それは何なのか追及すべきと、思えてくる。
便利さの恩恵を受けるほど、強くそう思えてくる。
依存は、居心地が良いほどに増す。その分失うと、反動が大きい。であれば、罪は浸かり過ぎるコト。