さめぎみ
はしゃぐのは、かっこ悪い。
でも、バカ騒ぎはとても楽しい。
冷め気味の若いヒトが、増えているように感じる。
冷め気味のヒトというのは、表側に現れてはこない。表側は、それなりに浮かれて見えるかもしれない。
でも、若いヒトがみんな、とても内向的で、自分をいつも責めているように、思われてしかたがない。
冷め気味というのは、世間に対しての諦め。距離を置こうとする姿勢。
そして自分を責め、自信を持てない状態。そのウラ返しが冷め気味の振る舞いに思える。
冷め気味のヒトは、とても消極的。消極的のまま、歳だけを重ねる。
そういうヒトが増えているように思う。
流れというモノに乗れているヒトは、イイのかもしれない。
誰かが作った、理想的な生き方を、そのまま出来ているヒトはのびのびしているかもしれない。
でも、そこから少しでも外れると、消極的で、冷め気味になる。
誰かが作った理想などは、幻想に過ぎないのに。誰でもがその幻想を追う必要はないのに。
どうもそこに縛られているような気がする。
もっとそれぞれの生き方でイイと思うのだけれど、それぞれの生き方なんて、日本には無いに等しい。
不慣れなのは、それぞれという考え。それぞれの生き方というモノが、まるで足りていない。
本来はあるべき、それぞれという名の尊重が、この国にはない為に、みんな理想の生き方からはぐれると、迷子になってしまう。
この国に足りないモノは、尊重。
多様性を認める幅の広さ、相手への尊重が、とても貧弱。それがとても苦手。
昔からそうだった。現在その消極的で、冷め気味が目立つのは、それなりに豊かになったせい。
豊かになり、個人のモノを所有出来るようになり、関わりを持たなくてもよくなった。
一人のままで、消極的なままで、歳を重ねられる条件がそろってしまっている。
一方豊かにはなったが、不況などでうまくいかないヒトも増えている。
理想通り進んできた道が、突然途絶え行き場を失い、迷子の状態になっている。
理想の生き方から外れると、まるでどうしてイイのか分からなくなってしまう。
みんなそうなのに、壁をつくって自分で自分を責めている。
相手を尊重し、自分を尊重し、壁なんて壊してしまえばいい。
尊重が出来れば、それぞれという考えも成立する。自分もそれぞれ、誰でもそれぞれ。
たいしたことなくても、みっともない生き方と言われても、みんなそうなので気にするコトはない。
冷め気味は、自分で作った壁。尊重し、それぞれを確立する。それぞれの中へ、その本当の世界へ。