のう
一様な世の中なら、それでも良い。
世の中は、少しの距離で様変わりする。
脳は一つでは足りない。それぞれの人の脳が、絶対に要る。
世の中が一様なら、脳は一つでも問題はない。
国のトップが、右や左と決めて、何ら支障はない。
ただ、世の中は一様ではない。壁一つ隔てれば、まるで景色が変わるようなコトも、頻繁にある。
その時には、それぞれのヒトが感じ、必要なモノを用意した方がイイ。
それが、沢山の脳。末端脳。
共産主義や社会主義は、脳が一つ。その一つの脳が、処理しやすいように国を一様にしようとする。
それが出来たとしても、状況は一様にはならない。そこには無理が生まれ、そぐわないモノが野積みになる。
自由主義は、それぞれの脳が活動できるやり方。
それは、状況が変わっても対応できる。または、対応できなければ、消えるのみ。
消えたくはないので、それぞれの脳は、より練り込まれたモノを出していく。
たくさんの失敗を出しながら、沢山負けながら、また新たなモノが生まれてくる。
優れているのは、脳。それぞれの脳が、活かせるシステム。
そして、サメの歯のように、はえ変わるシステム。これが優れている。
では現代の日本は、どうだろうか。一応自由主義の体裁には、なっている。
ただ、新しいモノを歓迎する世の中にはなっていない。さらには、いろんなヒトの脳を、活かすシステムもない。
それぞれの状況に合わせた、たくさんの末端脳が活躍する必要がある。
まるでそれは出来ていない。せっかくそれぞれの脳があるのに、活かせていない。
沢山の脳を活かすほどに、良いモノが出てくるというのに、モッタイナイ。
上下があり、脳も低く見られている。これでは活かせない。良いモノも、気づかず、見落とされている。
沢山の脳に訊く。その中で、良い考えが生まれる。足りないのは、任せるコトと尊重。