すべてうしなう
一番恐れる。
頼れるモノが無くなるから。
全てを失うと、どうなってしまうのだろう。
考えただけで恐ろしい。それだけに、奥の奥では考えている。
極力そこに落ちないように、遠回りをしていく。全てを失えば、どうしてイイのか先が見えなくなる。
この奥の奥で考えている、全てを失うという恐怖。本当に、全てを失うのだろうか。
確かに、今あるモノは全て失うと考えてイイ。ただ、それが本当に全てかと言えば、まるで違う。
ほんのわずか。ほんの一部に過ぎない。
では、何でそれをとても恐れるのか。それは、ヒトがほんの一部の中で、生きているから。
ほんの一部が全て。
もしも、従来と違う生き方をするならば、全てを失っても、痛手は僅か。
この頃閉塞感という言葉を、よく耳にする。これは、とても狭い世界の中に居るコトの表れ。
やはり、とても狭い一部が、全てになってしまっている。
それほど、狭くする必要はあるのだろうか。
狭くなるほどに、処理しやすくはなる。さらに、一見優れた人物を、選び出しているような気にもなる。
沢山削ぎ落とせば、それだけ洗練されているという、勘違い。
どれほど削ぎ落としても、実質に注意が注がれなければ、自己満足を越えない。
それにこの実質というのが、くせ者。能力はさまざまに尖っていくので、見極めはカンタンではない。
安易な削ぎ落としの現状は、まるで理にかなってはいない。どちらかと言えば、お粗末な考え。
世の中はお粗末な考えによって、成立している。それで、一部を全てだと思い込まされている。
本当に全てを失うコトなど出来ない。全てを失いたくないという恐れは、無くさなければイケない。それが、ヒトが克服すべきテーマ。