くにである
その必要。
押し寄せている大きな流れと、変わらずの形態。
国である必要を、問いただしてみたい。
世界中にヒトが行き交い、モノが行き交う現在。
その大きな流れは、空に浮かぶ雲のように、本来は自由。
それを国という、お邪魔虫が阻害している。
状況はたえず変わる。カタチは、すぐには変われない。
変わるモノとも思っていない。国に依存して、すがりついているヒトも居る。
流れは止められるモノではない。変わるまで時間がかかるだけで、そこからは逃れられない。
流れは大きな津波となり、いずれ国というカタチを形成する、堤防を壊していく。
その時、どこが譲れて、どこが譲れないトコロになっていくのか。
国という枠が壊れるだけ。譲れないトコロまで、壊されていくワケではない。
たとえば言葉。これは強制しないかぎり壊れない。それでも融合は少しずつ進む。
それから居住区。これも譲らなくてイイ。先祖代々の土地、守っていく。
ただ、他の土地に移るコトになったら、そこ土地はその先祖代々がある。それを侵してはイケない。
そして新たな土地に移った時に、受け入れてもらえるように、外からのヒトも受け入れる。
痛みを伴う大きな壊れ方か、溶けるように混ざっていくのか。
通貨も急激に変えようとしなければ、変わらない。融合していくモノかもしれない。
近い将来か、遠い将来か。いずれ来る形態。ヨーロッパでのEU。その試みも、興味深い。彼らは、一歩先に進んでいるかもしれない。
国である必要は、すでに希薄。この先の道は、そちらへ向かう。欲しいのは、自分の中の受け入れるココロ。