ざいにん
殺してイイのか。
殺すべきではないのか。
罪人ならば、殺してイイのだろうか。それとも、殺すべきではないのか。
重い罪を犯した罪人が、居るとする。この罪人を裁くとして、何を目的としよう。
それは、懲罰だろうか。それとも更生だろうか。はたまた存在の排除か。更には抑止か、再発防止か。
殺すとするならば、懲罰か、排除、抑止か、再発防止になる。
殺さないならば、懲罰か、更生になる。
殺すにしろ殺さないにしろ、罪を犯した人間には、共通して懲罰は与えるべきとなる。
というコトで、懲罰は当然のコトとして、外すコトにする。
あとは、殺すか殺さないか、排除と抑止と、再発防止。それか更生。
殺せば、その人間をこの世から排除出来る。と同時に、その人間が同じ犯罪を起こすコトを防げる。
さらに殺されるとなれば、同じ犯罪を犯そうという人間にも歯止めがかかる。それが抑止。
逆に殺してしまえば、その人間の反省をする機会を奪うコトになる。チャンスを与えないコトになる。
更生を考えるのであれば、殺すコト無く、反省の機会を与えるカタチになる。
さて、目的はどこに定めよう。それによって、殺すか殺さないかも決まってくる。
まず、更生をさせるにしても、その人間が同じ犯罪をするようであれば意味はない。
更生は、あくまで再発防止も、絶対条件になくてはイケない。再発防止が出来ていない、更生などあり得ない。
更生も絶対条件として、外すコトにする。
あと残るのは、排除と、抑止、更生。
現在日本では、死刑というモノが存在する。と同時に、凶悪犯罪も日常的に起こっている。
とすると、本当に抑止になっているのだろうか。死刑が歯止めになってくれているのだろうか。
もちろん、全く抑止として働いていないとは言えない。ただ、凶悪犯罪をやめさせる程の、チカラになっているかは疑問と言える。
もう少し、違うやり方があるような気もする。この抑止だけは、疑問符をつけたい。
排除と、更生。おそらく排除をしても、また罪人は出てくる。とすれば、排除は一時の気休めにしか過ぎない。
ヒトがヒトを殺すような犯罪を防ぐ為に、ナニかが圧倒的に足りない気がする。
罪を犯さなければいい。そうすれば、罪人を殺すか殺さないかで、悩む必要はなくなる。
罪人がどうして罪人になるか、今一度よく調べ尽くさなくてはイケない。何もやっていない。
もしかすると、罪人を排除や更生する前に、やらなければイケないコトが、あるような気がする。
罪人を殺すか殺さないかではなく、いかに作らないか。それを、見落としてきてしまったのかもしれない。