だれが
誰でも良い。
トップは誰でも良い。
誰が、トップになろうが構わない。
どの国の国民も、誰が支配者になっても構わない。ただ、して欲しくないコトがあるだけ。
異言葉の強要、異名前の強要、生活の場を奪われる。加えて、命を奪われる、服従など。
このようなコトを、して欲しくはない。
それは大迷惑な行為で、そういうモノを枠で囲ってみる。
誰もが、大迷惑と感じる嫌な行為を、枠で囲ってしてはイケないコトと、位置づけていく。
過去においても、未来においても、それは悪であり、永久に恥ずべき行為とする。
枠で囲ってしまうのは、包囲して意味づけをハッキリさせる為。
特別なコトをしているのではなく、人が過去にしてきたコト。
そして、されてきたヒトの気持ちを、少しでも推し量る狙いもある。
枠で囲み、その枠で囲った行為をすれば、誰であろうと大迷惑。
また、その枠で囲った、行為をしなければ誰がトップであろうと、良いというコトになる。
他の国の人間でも構わない。もっと言えば、他の国になってしまっても構わない。
どの大迷惑な行為さえしなければ、自国に固執する必要もない。
固執するのは、言葉や名前、生活、命、自由な行動。これだけは譲れない。
あとは、どうだっていい。国替えすら問わない。
重要なのは、国ではない。その中身と言える。その中身さえ守られれば、国なんてドコでもいい。
それは、この国でも他の国の国民も同じ。重要なのは、トップがして欲しくない事をしないコト。
重要なのは中身。命、言葉、名前、自由、生活。これを揺るがせば、何人たりとも大悪党。それこそは、人類最大の敵。あとはどうでもいい。