ふ
ヒトと付き合う。
ヒトと親密に付き合う。
ヒトと親密に付き合うなら、そのヒトの負の部分もひっくるめて。
ヒトは、いろんな負の部分を抱えている。
表面的に付き合っている時には、その負の部分は見えてこない。
親密になれば、そういうワケにもいかない。
親密になっても、負の部分は隠したがるかもしれない。でも、いずれそれは分かるコト。
負の部分があるという前提で、付き合いたい。負の部分をひっくるめて、ヒトとは付き合っていく。
驚くコトは何一つ無い。誰でも何かしら、負の部分は持っている。それを、知るというだけのコト。
普段は、普通を演じて、みんな負の部分を隠して、生きている。
普通というのは、負の部分を隠して演じているというコト。不自然なのかもしれない。
普通=不自然。といってイイと思う。それほどヒトは、負を持っている。
大きい小さい、どうにかなる、どうにもならないなど、その負は多岐にわたる。
にしても、それぞれにその負に悩み、忌み嫌い、背負い込んで生きている。
それはそのヒトの乗り越えるべきテーマ。
なぜそのヒトがそんな行動を取るのか、それはそのヒトが乗り越えてきたテーマが、そのヒトを変えたから。
もしくは、現在そのテーマに苦しみ、迷っているから。
その負の部分によって、ヒトはいずれ変わっていく。その途中もあり、次の課題もある。
そんなヒトに接する時、負の部分ごとひっくるめて接する。自分の負と、人の負。
決して軽くはない、とても重い闇。でもそれは闇のままで、終わるべきモノではない。
誰かにアタって、逃げるべきモノでもない。いつかは乗り越えないといけない、負の部分。
滑稽なほど、ヒトは負の部分という、課題を背負って生きている。
親密に付き合うというのは、その課題を共有すると言うコト。
といっても、課題は当事者が乗り越えていくモノ。まわりはそのフォローをしていく。
一緒に悩み、一緒に苦しみ、励まし合って、生きていく。それはとても美しい。
負の部分を分かち合い、認め合えば、その姿はきっと美しい。