きれい
2編目がある。
3編目もある。
ヒトはキレイなままでは、居られない。
キレイなままで居ても、意味がない。生きていて、2編目、3編目がある。
明らかに過去の自分とは、変わっている。変わるキッカケは様々。
さらに変わる期間も、マチマチ。
すぐに変わる時もあれば、10年くらいかけて変わる時もある。
人生の2編目3編目。その度に、過去の自分とは違っている。
表面的なモノを求める、1編目に比べて、2編目3編目と重ねる毎に、より深い本質の方を理解できるようになる。
最初はどうしてもうわべ。そして偏見の塊。
そこから抜けなくてはいけない。最初のままでいてはいけない。
ヒントはいろんな所にあって、それに気づく道筋も様々。
当然世の中には、1編目と2編目と3編目と4.5.6・・・編目のヒトが、混在しているコトになる。
おもてには見えて来ない所なので、分かり難い。でも確かに存在する。
それはそのヒトの深みとして、端々に滲み出る。
まだ1編目ならば、そのヒトの浅さとして、振る舞いにあらわれる。
キレイなままでは、最初のまま。傷ついて、嫌な思いもして、次に進む。人生の第2編。決して表には現れない。人知れず、ヒトは次の人生を始める。そしてそれは続き、3編4編とさらに続く。あくまで人知れず。そのヒトそれぞれの道。