こめんと
テレビを見ていて思う。
それはとても難しい。
コメントはとても難しいと、テレビを見ていて思う。
ヒトに伝える、そしてコンパクトにまとめなければいけない。コメントというのは、意外に奥が深い。
では、上手いコメントとはどういうモノなのだろう。それを考えてみる。
まず話を振られた時、その流れとまるで別な話をするワケにはいかない。
振られた話にひとまず合わせなくては、成り立たない。そして自分の考えを言う。
これは、他のヒトと同じではつまらない。違う視点、より深い考察を踏まえないといけない。
それも、分かりやすい表現を心がけないと、伝わらない。さらにコンパクトにまとめる必要がある。
このまとめる作業も、難しい。どういう表現で終わればいいのか。上手く切らないと、嫌な感じになる。
それと、短いコメントを求められていると言っても、短すぎても嫌な感じになる。その丁度良いが難しい。
おそらく、嫌な感じにならない、隠れた決まりゴトのようなモノが、存在しているように思う。
その決まり事を守れば、おそらく上手いコメントと、認識されるようになると思う。それはどんなモノだろう。
締めくくる時、たとえば自分はそう思うで終わるのか、じゃないでしょうかと、ぼかしながら投げかけるか、それだけでも違ってくる。
自分はそう思うで終わると、最後逃げているようだし、他はどう思うのか求めるようで、嫌な感じがする。
じゃないでしょうか。と、ぼかしながら投げかけるのは、相手に渡しながら、自分の意見を発している。
これは後味も悪くないし、嫌な感じもしない。こればかりではいけないが、じゃないでしょうかを本筋にしていくのは、正解だと思う。
受け取る時はどうだろう。話を振られて、受け取ったのが分かるように、ハイと、入れた方がイイ。
そのあと、コメンテーターに求められているのは、分析とその結果なので、自分の分析を言えばいい。
基本的には、分析だけにして、憶測の部分は控えるようにしていく。
ただ、分析だけでは堅苦しいので、どう感じて、それの意味する所はという説明は入れて良いような気がする。
分析だけで、短すぎてしまうのならば、そういうコトを挟んでも良いような気がする。
では、長くなってしまうのはどうしよう。これ分析を意識しない所から、起きてしまう事象だと思う。
自分の意見を言おうとするので、長くなってしまう。おそらく自分の意見なんて、思っているほど、まとまっていない。
それを口に出しながら、確認していくコトになる。その確認が、長いコメントにさせてしまうような気がする。
コメントは分析で良い。自分の感じたモノは、余ってしまった時足して、時間を稼ぐのに使えばいい。
後は最後、じゃないでしょうかで司会者に渡せば終わる。なるほど、これならばスッキリするかもしれない。
う〜ん、やはりコメントは奥が深い。しかも分析を求められているならば、それも大変だと思う。上手いコメントをするヒトは、どうやっているのか。また、少し分析してみようと思う。