じかい
取り違えられる。
よく自虐と、取り違えられる。
本当は自戒。よく自虐と取り違えられて、使われてしまう。
自戒は、自分と向き合ってから始まる。そして反省が含まれる。
向き合っていなかったり、反省が含まれていなければ、自戒ではない。
自戒は自分のしてしまったコトを見つめ、自分の行動を改める為のモノ。
自分にとっては、苦しいだけのコトと言える。ただまわりにとっては、改めてもらった方が、ありがたい。
自虐だという表現を使うヒトは、おそらく向き合っていない。
それは保身。保身で動くヒトは、向き合わず逃げてしまう。つまり逃避。それではいつまでも改めるコトなく、同じ間違いをくり返すコトになる。
改めれば、同じ失敗はくり返さない。同じ落とし穴に落ちるコトはない。
保身のヒトはずっと同じ場所にいる。そして同じ落とし穴に落ちる。それを何度もくり返す。
改めないので、ずっと同じ失敗をくり返す。保身というのは、学ばないというコト。
向き合って、反省しなければ、改めるコトは出来ない。
逃げるのは自由だが、何度も同じ所で、落とし穴に落ちるコトになる。一つも前に進むコトはない。
この国でも、自戒があるヒトはいる。ただ、保身のヒトに潰されてきた歴史。
本来なら、もっと前に進めるが、向き合おうとしないヒト達に足を引っぱられてきた。
それも仕方のないコトかもしれない。ヒトはそこまで強くない。自戒は勇気が要る。それがなかった、それだけ。
前に進むには勇気が要る。自戒には勇気が要る。
まずは向き合う勇気。それがなければ、ずっと同じ失敗。ずっと同じ場所。
自虐は反省が含まれない。保身も反省が含まれない。反省が含まれて、成長。向き合って、反省して、改める。全て勇気。それで人は成長する。その苦しみの道。それが自戒。