はいぼくしゃ
どちらが勝ったとしても。
どちらが勝ったとしても、このままでは。
どちらが勝ったとしても、このままでは両方敗北者になる。
民主の代表戦で、気になる発言があった。
小沢さんが、まるで野党のような主張をしているという点。政権与党にいるのに、とてもおかしい。
なぜ野党のような発言になるのだろう。そこを読み解いていく。
もしも、いろんな政策に少しでも関わっていれば、与党側の立場で物事を言うハズ。
野党のような発言になるというコトは、政策に関わっていない。共有が出来てなくて、断絶しているコトになる。
これはどういうコトだろう。同じ与党内にあって、関わりもなく、共有もないとは、どうなっているのだろう。
こう考えられる。与党のごく僅かの人間が、政策に関わり、あとの大半は政策には関わっていない。
つまりイスが少ない。イスに座れる人間は政治を出来るが、座れない大半の人間は、政治をさせてもらえない。
それでイス取り遊びが始まる。
ただ、これは民主党政権に始まったコトではない。自民党時代から、イス取り遊びは続いている。
それはシステムに問題があり、どの党になってもそのシステムの上で政治をしている以上、同じような結果になるというコトを表している。
そのシステムを変えない以上、菅さんが勝っても、小沢さんが勝っても、敗北者となる。
逆にシステムさえ変えれば、菅さんが勝とうが、小沢さんが勝とうが、どっちでもイイと言える。
それほど、このシステムには問題がある。
では、どのシステムに問題があるのだろうか。これは、おそらく国会のシステム。イギリスを手本とした、明治から続くシステムだと、当たりはつけられる。
これはそれ以前の、王様や殿様の時代のやり方よりは、とても優れたモノ。ただ、いつまでも大切に持つ程のコトはない。
とくに、イスが少なすぎる。せっかく能力がある人間が沢山いるのに、まるで活かせていない。
いや、実はイスというモノは要らない。欲しいのは”場”。その場で能力のある沢山の人間を、活かしていく。
場は沢山欲しい。大丈夫。問題は沢山あり、解決されないまま野積みにされている。
そのひとつひとつの問題で場を作り、それぞれを担当につかせればいい。
詳しい説明は避けるが、それで能力を活かせる場は出来る。しかも政策に、直結してもいく。
現在は、イスが少ないので、そこに権力と責任が集中し、やり遂げられなくなり、官僚に泣きついてしまうようになる。
そのイスというのは、大臣のポストと考えてイイ。
民主党も、副大臣を何人か置いたり、関わる人間を増やしたりもした。最初はそういう動きも見られた。
これは方向は合っている。ただ、イスを増やしただけ。イスは要らない。場を作るべき。
イスはヒトを固定させる。場は、もっと自由。自由で誰でもという方が、厳しい。自由な方が、結果を出すとなると厳しいと言える。
場の方が、厳しいだけに良い結果も出やすい。イスは、そのイスにふさわしい振る舞いを求められるので、いつの間にか中身が無くなってしまう。
場を作り、その中で争って、磨き上げていく。争うと言っても、それは政策のコト。つまり中身のある争い。
その争いの中から、様々な選択肢が出てくる。その選択肢を最終的に選ぶのは、大臣と言うコトになる。
これなら、どの議員も自分の得意な問題の担当につき、大臣の仕事も大幅に軽減される。
これが出来れば、代表が誰になっても勝者と言えるし、今までの悪しきイス取り遊びに、終止符も打てる。
おそらくマヌケなイス取り遊びは、これからも続いていく。仕方がない、場を作らずイスに座ろうとしている。
イスに座りたいニンゲン同士で、争っている。イスに座れない、沢山の能力ある人達。そして野積みにされた、沢山の重要な問題。そっちのけにされ、しらける国民。それはまだ、残念ながらしばらく続いてしまいそう。