じょうずへた
どこで、だろう。
どこで線引きされるだろう。
上手と下手は、どこで線引きされるだろう。
それは見ているヒトが、勝手に決める。
見ているヒトが上手だと思えば上手、下手だと思えば下手。同じ状況でも、上手にもなるし下手にもなる。
では、本人はどうだろう。まわりから上手だと言われれば、嬉しくて浮かれる。
下手だと言われれば、落ち込み、嫌になる。
嬉しくて浮かれれば、アクセルが踏まれ、加速する。落ち込み、嫌になれば、ブレーキがかかる。
浮かれれば加速はするが、乱雑になり、上手から離れもする。
地道な確認を怠るので、自分がどこにいるかも見失い、突然足場のない不安にすくんでしまう。
他人は上手というかもしれない。下手というかもしれない。でも、ホンモノは、自分の基準を持つ。
自分の基準を持ち、いつでも自分は下手の位置に身を置く。
そして更なる、向上を目的として動き出す。自分で上手だと思ったら、止まってしまう。堕落してしまう。
上手や下手に、絶対的な基準はない。あくまでヒトの主観。
見るヒトから、上手下手が決まってくる。みんな自分がゼロの位置。それぞれのゼロの位置はバラバラ。
バラバラなので、そのヒトから見て、上手や下手が出てくる。
もう少し客観的に、不慣れや慣れているで表した方が、的確。
上手下手は、一つの区切り。それは永遠に先がある、終わることのないポイント。気にするコトはないし、真に受けるコトもない。軽く流して、自分の道を進んでいく。それだけでいい。