むずかしい
どの段階だろう。
どの段階から、そう感じるのだろう。
難しいというのは、どの段階から、そう感じるのだろう。
カンタンと難しいの、真逆の二つがある。カンタンと思うのは、すぐに自分の中で、答えが出せる状態。
難しいというのは、答えも出せず、下手をすればその前の段階である、理解も出来ない状態。
これは、無理がある状態と言い換えてもいい。難しいのではなくて、無理がある。
そしてまだ、しなければならないコトがある。下準備がまだ、出来ていないのだと言える。
どうやら、難しいというのは、準備が足りていない状態を表していると言える。
そのヒトの能力云々よりも、いきなり無理なコトを、させすぎていると言える。
難しいから始まって、カンタンになるまで、それなりの行程がある。
それがどんなモノかによって、その距離は長くも短くもなる。ただ、やり続けていけば、いずれたどり着けると断言できる。
その時に必要な、物事を身につけていけば、最短でカンタンにまで辿り着くコトも、可能になる。
ただ、現実には難しいと思ったモノは難しいまま、終わってしまうケースが多い。
これは、それを補助するニンゲンのサポート不足、身につけるべきモノの不的確さにある。
それで、難しいのまま、もしくは嫌なままで放っておかれてしまう。
難しいと思ったら、それは無理があるという啓示。自分がカンタンだと思う所まで戻り、キッチリと身につける。
更には、時間もかける。身につけるには必要な時間がある。それには個人差もある為、判断は自分でする。
自分が難しいと思ったら、それは時間をかけるべき物事であるという証拠。まわりは気にせず、時間をかけたい。
能力がないとか、能力があるとかは、関係がない。それに振り回されすぎて、やるべきコトを見失っている。
無駄に焦らされて、無理を重ねて、さらに嫌になっていく。
難しいなと思ったら、出来る所まで戻る。もしくは時間をかけて身につける。この二つ以外は、無駄無駄無駄!
どれだけやっても身につかなければ、教材を疑ってもいい。不的確な可能性が高い。必要なモノを的確にする、それが鉄則。
難しいは、状態。カンタンにまで持っていけばいい。まだ身につけていないので、難しい。的確に身につければいい。そこでは、他のヒトは関係ない。難しい、カンタンは、他のヒトは関係ない。自分だけの道。惑わされてはいけない。難しいとカンタンは、自分だけが知るメーターに過ぎない。