すき
誰にも邪魔されない。
自分だけが、評価できる。
好きというのは、自分だけが評価する。
好きだけは許されている。自分の独断と偏見で、決まる。理屈も要らない。そう感じたら、それでいい。
この好きという感覚、これを深く探ると何があるんだろう。
好きと反対にあるのは嫌い。この嫌いというのも、独断と偏見で決めるコトが許されている。
さて、この好きと嫌いというのは、真逆に位置しているんだろうか。好きと嫌いなんだから、真逆のハズではある。
そのハズではあるが、そうとも言いきれない。実は好きも嫌いもいい加減なモノ。
その時その時で、コロコロ変わったりする。確固たるモノがあるのではなく、その時の気分でも変わってしまう。
嫌いでも、好きに変わるコトもあるし、その逆もある。
では、どういう時に好きになるのだろう。
好きというのは、自分にとって有益なモノ。そしてそれと出逢った時、人はそのモノの中に溶けていく。
自分というのはとても溶けやすく、有益と思うモノには、すぐに溶け込んでしまう。
好きというのは、その溶けるほどのモノに対して、ワザワザ付ける表現。
ワザワザ付けるのは、認識する為と、自分とそのモノとを分ける為。
そのままでは溶け込んで一つになってしまう。好きという評価をワザワザ付けて、自己と対象の区切りを付けている。
では、溶け込むほどのモノを、どうして嫌いになるのだろう。
これは、全てを見ていないうちに、溶けてしまうから。好きで固めて、勝手に想像しだしてしまう。
少しでもその想像と違う部分があると、歯車が狂ってくる。更には状況も変わり、対象も変わる場合もある。
そして何より自分も変わる。その時は良くても、徐々にそぐわなくなるコトがある。
その時、いわゆる冷める状態になる。いや、その前から違和感は感じている。
溶けていた自分から、一瞬に冷静にもどるポイントがある。そのポイントで、急にどうでもよくなる。酷ければ嫌いになってしまう。
好きというのは、とてもいい加減なモノ。そして流動的なモノ。流れながら、変化するのが当然の振る舞いかもしれない。
そして自分というのは、とても溶けやすいモノ。シッカリと自覚していないと、すぐに溶けてしまう。
溶けてしまうと思ったら、溶ける前に自分で歯止めをかけて方が、得策と思う。
好きも嫌いもいい加減なモノ。流れてしまって、好きというのは、長続きはしない。そして自分も溶け易すぎる存在。あまり深い部分にまで、溶け込まない方が良い。自分は自分でもっておいた方が良い。そうでないと、抜け出せなくなる。自分は自分。そして、好きと嫌いは、絶対的でないその時だけの評価。そう言える。