こころ
自分だけのモノ。
それとも、自分だけのモノではない。
心は、自分だけのモノだろうか。それとも、自分だけのモノではないのだろうか。
心は、それぞれのヒトの中にある。
心は、自分だけのモノと考えるのが、当然とも思う。
でも、自分という小さく窮屈な容れ物に、心を収められるのか、少し疑問に思う。
心をイメージする時、それはまるで大海のように、はたまた見上げる空のように、広がりを見せる。
その広がりの行き着く先は、自分という容れ物に、収まりきるモノなのだろうか。
あまりに広がりすぎて、意識できるのはほんの近所の、自分の小さな世界。
確かに意識できるのは、自分の小さな世界だけだが、そこで終わってはいない気がする。
遙か遠くまで続いていて、終わりすらどこにあるのか分からない。
ヒトのこのちっぽけな殻を突き破って、さらに広く、もっと遠くへ続いているように思う。
そこはおそらく、もっと多くの者とも、共有できる世界。
自分の中に、他のヒトと共有するスペースがある。それが心なのかもしれない。
科学的にはあり得ないかもしれないが、共有スペースというモノは、あってもイイと思う。
その対象は、ヒトだけではなく、他の生物、他の存在にまで広がるように思う。
ともかく小さな世界ではない。小さな世界に収まるような存在ではない、それが心のような気がする。
もちろん、心は自分の為だけにも作用する。というより、ほとんどの場合は自分の為だけ。
それでも心を込めたり、相手を思いやる心、自分だけでないモノに心の向きを変えると、自分という小さな殻から解放される。
窮屈なこのカラダから解放されて、自分以外の相手と、思いは交わされる。
もっと広い世界に、おそらく永遠に無くならない共有スペースを、感じ取れる。
感じ取れた時は、不思議と自分の存在は消し飛んでいる。他のヒトのために、全てのチカラを注いげている。
自分という窮屈な容れ物に入っている心。それは、遙か遠くまで広がる世界の、入り口かもしれない。心によって、解放され、ヒトは自分以上のチカラを出せるように、なれるのだと思う。