どうり
失う。
通すほどに、失う。
道理を通すほどに、失ってしまう。
道理は通した方がイイ。それは正しいコト。
ただし現実では、パワーゲームの要素が加わる。それが支配しているコトもしばしばある。
道理を通せば、パワーゲームに押されて命を失うか、パワーゲームに取り込まれて、ナニも見えなくなるかのどちらかになる。
パワーゲームに取り込まれれば、道理も何もない。ただただ、チカラを欲するだけ。
道理も通さなければイケナイ。パワーゲームにも取り込まれたくはない。さてさてどうするか。
まずは世の中にパワーゲームの要素があるコトを、考えに入れなくてはイケナイ。
そのうえで、一旦立ち止まる。一旦立ち止まって、止めてみる。道理も、パワーゲームも止めて、先を見る。
そのまま通せば、その先にあるモノは死。沢山の死が転がっているだけ。
実際にしなくても、容易に想像がつく。生きていたヒトが、沢山の死体に変わる。
そんなモノは求めていないハズ。ではどうしよう。
その死を避けてみる。死を避ける方向を、探してみる。
実はそれが正解で、パワーゲームや道理よりも、生きるコトの方を優先する。
それを優先して、考えていく。それが答えになる。
どうしても、勝ち負け、感情的なパワーゲームに流される。流されないにしても、道理を通そうと、身を危険にさらすだけ。
ヒトの歴史の中で、何千年も同じコトをしてきた。長い時間の中で、それをくり返しているだけ。
知恵を使う。世の中にはパワーゲームが溢れている。その中で、全てが生きていけるように知恵を使う。
決まった答えなど存在しない。その都度その都度、知恵を使って切り抜ける必要がある。
道理も時として、捨てなければイケナイ。状況によっても、答えは違う。
その方向に進めば、いずれ本当の答えに辿り着く。
何千年も、同じコトをくり返してきた。それは、答えがヒトの中にあるコトを示す。全ては、自分の心の中にもあると、言える。
自分の心の中の闇を突き詰めれば、本当の答えに辿り着く。
闇は、分かってしまえば闇ではなくなる。分かれば、ヒトの行動のひとつひとつが、説明出来る。
長い苦しい道のりだが、死体が転がるコトを考えればたやすい。生きる為にはどうするか、たくさんの知恵を使っていく。
いずれ気づく。自分のコトばかり考えては、答えにたどり着けない。全てのヒトを対象に、共通性、尊重、許し、願い、そして未来。答えは、自分を含めて全てのヒトの中に、要素として紛れ込んでいる。