なんかい
存在する。
余分が存在する。
余分が存在するので、難解になる。
言葉はとても難しい。日本語はとくに難しいとされる。
いろんな難しい要素はあるが、必要最低限でないコトも、一つの理由だと言える。
言葉は、必要最低限ではない。余分と思える表現が、沢山広がっている。
必要最低限になれば、難易度はかなり下がる。他の国のヒトからすれば、とても楽に言葉を覚えられる。
必要最低限の方が、良いコト尽くめのような気がする。
それでも、言葉は必要最低限になろうとしない。それは、どうしてだろう。
退屈すぎる。必要最低限だけでは、退屈すぎるから。それが答えだと思う。
分かりきった、必要最低限だけの言葉なら、つまらない。そしてそれは窮屈な感覚に、陥らせる。
それで、言葉は余分と思えるモノまで作り出され、難解になっていく。
ただそれは、自国だけの為のモノ。そして大人の感覚。他の国のヒトや子供のコトを、考えてはいない。
他の国のヒトや、子供であれば、必要最低限の方が好ましい。では、どうすればいいか。
切り分けていく。通常使う必要最低限の言葉と、それ以上の広がりの言葉を、切り分けていく。
表現は狭められ、窮屈にはなるが、格段に難易度は下がる。自国のコトだけを考えれば意味はないが、他まで意識をはせれば、重要な方向。
難解な広がりを、無くすわけではない。あくまで切り分ける。難解でも、使いたければ使えばいい。ただそれは、親切ではないだけ。
必要最低限にするのは、親切の現れ。難解は、不親切。
言葉は、みんなが使うモノでありながら、とても勝手なモノ。とくに日本は、単一民族で、交流も少ない為、身勝手になっている。
気づきにくいが、とても身勝手。言葉を吟味して、最低限を区切る。そして難解も残す。無くしはしない。あくまで切り分け。
言葉は身勝手に広がる。それだけに切り分けて狭めるのも、しておきたいコト。ルーズではなく、少し締める。さて、最低限の言葉になると、どうなるだろう。