りゆう
出来ない。
結果としては、出来ない。
出来ない理由も分かっている。でも、その理由は本当だろうか。
たしかに、出来ない理由としてあげられる、自分に不足したモノ。それは、理由になると思う。
それが無いので、出来ないというのは、間違っていないとは思うが、もう一段隠された何かがあるような気がする。
出来ない言い訳として、カタチある理由を並べたがるが、本当のモノは、カタチが無いような気がする。
カタチある理由に頼り、そのモノに依存する。それがなければ、出来ないとなる。
普段から、いろんなモノに頼りながら生きている。それだけに、本当に自分のチカラを使っているかと言えば、疑問符をつけざるを得ない。
自分のチカラを使っているわけではないので、モノに頼り、そのカタチを追うだけになる。
そのモノがなければ、カタチを追えない。カタチを追えないので、出来ないというコトになる。
ただ、元々はカタチなど無い。全ては誰かが作り上げてくれたモノ。誰かが積み上げて、ゼロから作ったモノ。
それに依存して、いろんなコトが出来るようになっている。もともとは、ゼロなので、最悪自分がゼロから積み上げていけばいい。
結局、頼っているモノ、依存しているのは、積み上げるという行為。自分にも、その能力は備わっている。
出来ない理由をカタチに求めるが、実は積み上げていないというだけかもしれない。
出来ないのは、積み上げていないから。モノが無いからではない。カタチが無いからではない。
自分なりのやり方で、ゼロから積み上げていっても、悪いコトは一つもない。
どうしても、出来ない言い訳ばかりしてしまう。でも本質は、もう一段隠された所にある。
理由は、もう一つ深いトコロに。カタチにこだわらなければ、違うやり方で、出来るようになる。
カタチは安易。それに頼るのは、とても安易すぎる。カタチにこだわらず、ゼロから積み上げる。そのチカラは、もともと誰にでも、備わっているハズ。理由は積み上げようとしない、自分にあると思う。