えすかれーしょん

ぬすむ

むすむ

どうして。

どうしてそんなコトをする。

どうしてヒトは、盗むという行為をするのだろう。

盗むというのは、欲しいという衝動から起こるモノ。その衝動に逆らえずに、行動を起こしてしまう。

盗むという行為が認められれば、安定はない。そこにあるはずのモノが、いつの間にか盗まれて無くなっている。

これでは安心出来ない。ヒトは所有をするが、それは安定をもたらしている。

盗む側は、安定を壊すコトなど考えていない。取られるヒトのコトなど、考えていない。

ただ衝動のままに、盗んでいく。自分の欲望と、衝動を優先してしまう。

理性も、罪悪感も、全て衝動に負けて、欲望に従った行動をしていく。

盗むというコトが、悪いと知らないのではない。知っていて、なお欲望に負ける。

その欲望が、食欲であるならば、まだイイ。分かりやすい。けれど、それが快楽となると、意味合いが変わってくる。

悪いコトをするコトに、快楽を感じる。悪さがバレれば、懲罰を喰らう。バレなければ、懲罰はない。

その、危機感と盗益との間の快楽を、むさぼっている。

ではどうすれば、盗みというモノをなくせるのだろう。

食欲から、はたらく盗みは、食欲を満たしてあげれば起こさなくなる。それは、簡単に解決出来る。

ならば、快楽をむさぼる、盗みはどうだろう。もともと、バレるかバレないかの間を楽しんでいる。それだけにタチが悪い。

食べるコトが十分に出来たとしても、盗みをはたらく。

もともと、相手のコトを考えない甘さはある。それと、行為自体反社会的でもある。

反社会的な行為をする場合、社会の中での居場所が無い場合がある。居場所が無いモノは、反社会的な行動をする。

居場所が無いのと、もともと甘い、という二つ。この二つを押さえれば、盗みというのを無くせる気がする。

居場所を作るというのは、それ以外の反社会的な行動を、押さえるコトにも繋がる。

居場所は奪ってはいけない。どんなヒトにも、居場所を作らなければいけない。それでしか解決しない。

もう一つ、甘い考えのモノはどうだろう。これは痛みを与えるしかない。痛みのイメージを、明確に植え付けるしかない。

そして、懲りさせる。もしくは割に合わないという、感覚にさせる必要がある。

自分が盗まれる痛みを、受ける必要もある。盗んだ者は、自分の私物の所有権も、失うようにする。

私物は誰がとってもいっても、罪にはならないようにする。どんな大切なモノでも、誰かにとられてしまう。

しかも盗人のモノを、とっても罪にならないとすれば、全てを失うコトになる。

盗む人間は、そこまでの覚悟はない。甘い人間は、そこまでの覚悟などしていない。

そこまで厳しくすれば、盗みのような、しなくてもいいコトを、しなくなる。そのくらいしないと、盗みは無くならないかもしれない。

甘さと、反社会性。それで盗みを起こす。食べ物と、痛みと、居場所を与えて、盗みは無くせる。もともとヒトの起こすコト。解決も出来るハズ。

-えすかれーしょん