かっこう
生きていけるか。
それで生きていけるだろうか。
格好というモノをつけないで、生きていけるだろうか。
格好というモノは、ダレの為につけるのだろう。
とっ散らかって、整えられていない状態なら、格好はついていない。それをヒトはどう思うだろう。
おそらくその状態をバカにする。しかも、それは役に立たない状態。
何らかの役に立たせる為には、ある程度整えられた、”格好”が必要になる。
ヒトは何を批判する。いや、どんなモノなら批判しないのだろう。
おそらく、自分の能力を超えないと思うモノは、批判しない。
そして、周りの強い人達が、肯定するモノは批判しない。強いヒトを敵に回してまで、批判のリスクは取らない。
とすると、批判をするのは、自分の能力を超えていて、強いヒトを味方につけていないヒトとなる。
さらに、自分の能力を超えていなくても、評価が異常に高いヒトには、その矛先が向かう。
いや、自分の能力を超えていたり、評価が高いというのは、認めたくないモノ。
認めたくない状態の時、更に自分が不利益をこうむるリスクがない時、批判するように思う。
事実はどうでもイイ。ともかく認めたくない時、批判する。その内容が、格好をつけているという言葉になっているだけ。
実際格好つけていても、つけていなくても、関係ないと言える。
生きていれば、他のヒトから認めたくないと思われる存在に、なるコトもある。それは仕方がない。
結局どうあっても、批判される。自分の生きるように、進んでいけばいい。それしかない。
周りから石つぶてや、冷たい視線をぶつけられても、ただ、自分の生きるように進むしかない。
その嵐を突き進み、貫いていくしかない。格好などどうでも良い。どういうカタチでも、批判は受ける。
見てくれではない。自分の生き様が、一番の格好になっていく。貫けばくだらない批判は、いずれ治まる。
もともと、大した考えではない行動。結局、ヒトは認めたくない生き物。
他人は、そういう生き物。最初から、認められてもつまらない。嵐の中でも、突き進んでいく。それが一番面白い、生き方になる。